凸凹魔法陣
「さて、そろそろわしも城へ戻る。今頃また、姫がああだこうだと騒いでおるじゃろう」
「わたしも一旦失礼するわね、クリフト。また後で食事を持って来るわ」
「あ、ありがとうございました、お二人とも!」
二人が並んで出て行くのを横たわったまま見送り、扉が閉まる音を聞く。
クリフトは天井を見上げて、ふうっと大きく息をついた。
(魔法かぁ……)
(ザオリクを覚えて父さん母さんを蘇らせたいという、目標は失ってしまったけれど)
(人を癒し、守り、内なる力を高める守護魔法)
(もし使えるようになれば、困っている人達を助けるために、わたしも少しは役に立てるようになるかもしれない)
(神の教えを体現出来る、立派な神官になれるかもしれないんだ)
(それに……)
もしも自分以外の大切な誰かを、立派に守る力を手に入れる事が出来たなら、その人のため、きっとどんなことだって恐れず立ち向かえるようになるだろう。
光を失っていた胸の奥の小路に、明るい灯がぽっと燈されたような気がする。
クリフトは今までになく満ち足りた心地で、目を閉じてもう一度安らかな眠りの中に戻ろうとした。
(……ん?)
その時、寝台のお尻の下あたりからもそもそと、小動物が這い回るような物音が聞こえて来る。
(リス?それとも鼠かな?)
(鼠は、もうたくさんだよ……)
「……フト!クリフト!」
(!!)
クリフトはぱちりと蒼い目を見開いた。
(ま……まさか)
「もう誰もいないわね!ブライもカーラも、出て行ったのよね!」
(嘘だろ)
「さっさと返事しなさいよ!」
「は、はいっ、誰もおりません!」
反射的に叫び返すと、寝台の下から聞こえてくる、ごそごそとした音は益々大きくなった。
やがてシーツが揺れ、木枠にしたたか頭をぶつけて、顔をしかめながらひょっこりと姿を現したのは、相変わらず向日葵のような生命力に満ちた、アリーナの小さな姿だった。
「一体、ど、ど、どうして……」
絶句するクリフトに向かって、少女はにんまり笑い、手を振り上げてピースサインを作った。
「やったわ!わたしの勝ちよ。ついにブライを出し抜く事に成功したわ!
完全に気配を消していたから、こんなに近くにいるのに少しも気付かれなかった!
やっぱり気を操る事にかけては、武術家は魔法使いなんかの比じゃないのよ!
見てなさい、いつか必ずこれまでの数々のお仕置きに対する仕返しの一撃を、あのじい様にがつんと喰らわせてみせるからね!」
「な、な、なんてことを……痛ぁっ!」
思わずあたふたと起き上がろうとして激痛に襲われ、クリフトは真っ青になってのけ反った。
「だっ、大丈夫、クリフト?!」
「は、はい……なんとか」
「とっても大きな怪我をしたんだから、まだ無理しちゃ駄目よ。わたしがついてるから、ゆっくり休んでなさい」
(ついてるからって……)
クリフトはこめかみを押さえると、体の底から深いため息をついた。
(もしかしたらわたしは、自分で思っているよりもずうっと、とんでもない女の子を好きになってしまったのかもしれないな……)
「アリーナ様、一体いつからベッドの下になんていらしたのですか」
「ブライが入って来た時、一緒にね」
アリーナは得意げに片目をつぶってみせた。
「マントを被って背後に隠れ、じい様が椅子に腰掛けた途端、体中の瞬発力を一気に噴出して、素早くベッドの下に飛び込んだのよ。
わたしには神様から授かった韋駄天の足があるわ。鍛えれば、もっともっと速くなる。
これからはつまらないマナーや王室儀礼の勉強なんて止めて、昼間は徹底的に武術の特訓をすることにしたの。もう決めたんだから」
「そ、そのようなこと、陛下やブライ様がお許し下さるとはとても」
「わたしのやりたいことは、わたしが自分で決めるわ」
肩の上で短く切り揃えられた鳶色の髪が、誇らしげにさらさらと揺れる。
「どんなに怒られたって平気。わたしは何があろうとも、自分の夢を絶対に諦めない」
(……夢を、諦めない)
不意に眩しいものを見ているような気がして、クリフトは目を細めた。
「夢を追いかけること。そのために全力を尽くすこと。
それがこの世に命を授かった、わたしたちの生きている大切なあかしだから?」
「そうよ。よく解ってるじゃないの」
アリーナは肩をすくめた。
「さてはクリフト、お前も自分の夢を見つけたのね。
あの洞窟に冒険に行った時よりお前の目、なんだかきらきらしてるわよ」
「まだ、はっきりと決めたわけではないですけれど」
クリフトはそっと微笑んだ。
「でも自分が誰を守りたいのかは、解った気がするから」
「……そっか」
アリーナは唇を持ち上げ、にっこり笑って頷いた。
瞳と瞳が重なり合うと、それ以上言葉を紡がなくとも、ちゃんと気持ちを伝えることが出来る。
それがこんなに簡単に出来ることに気付いたのは、
君だったから。
立ち向かう剣と、癒し守る杯。
きっとわたしたちは、いつまで経っても凸凹な二人。
「そうだ、アリーナ様」
クリフトは思い出したように瞬きした。
「以前おっしゃられていた、わたしに作って欲しい料理ってなんだったんですか」
「ああ、それは」
アリーナは頬を赤らめると、もじもじと身を縮めた。
「ちょっと耳を貸して」
「は、はい」
アリーナはクリフトの耳に唇を寄せて、重大な秘密を告げるようにこそこそと囁いた。
「ミルク粥?」
「おっ、お母様が作って下さったお料理で、たったひとつ食べた事があるものがそれらしいの!」
アリーナは顔を真っ赤にして、言い訳がましく叫んだ。
「べ、別にどうしても食べたいってわけじゃないのよ。
ただわたし、小さかったから全く覚えていなくて、それでどんな味なのかなって興味があって、
ほら、カーラにお願いして変に心配をかけるわけにもいかないし、だからクリフトならと思って、その、えっと……」
「大丈夫ですよ」
クリフトは優しく頷いた。
「それくらいなら、多分わたしにも作れると思います」
「あ、ありがと」
「それならヒヨコ豆の煮込みも一緒に作ってみましょう。それがわたしの母さんの、一番の得意料理だったんです。
わたしの母親の味を、ぜひアリーナ様にも食べて頂きたいし」
アリーナの顔が輝いた。
「すごく食べたいわ!」
「そうと決まれば、早く元気にならなきゃな」
クリフトは眉間に皺を寄せて、苦しげに息を吐いた。
「とても痛いけれど、ずっと寝てるのも退屈でつまらない。
病気や怪我なんて、全くするものじゃありませんね」
「クリフト、病弱そうだものねえ」
アリーナは楽しげに笑った。
「でもお前はいつか大人になって、とても大きな珍しい病気をするわ。何故かそんな気がするの」
「や、やめて下さいよ。冗談じゃない!」
クリフトは震え上がった。
「予知の力を持つサントハイム王家のお方にそんな事を言われたら、怖くて夜も眠れません」
「平気よ」
アリーナは自信に満ちた微笑みを浮かべて、クリフトに手を差しのべた。
「何があってもお前のことは、いつもわたしが傍で守るから。
クリフトは、わたしと仲間達にいつも守られる。
そしてまたあなたが、その力で今度はわたしと仲間達を守るの」
強い意志の滲んだ、幼いが確信に包まれた言葉に、クリフトは一瞬目を見開いた。
「仲間……って、誰の事です?」
「さあ、誰だろう?よく解らないわ。
たったいま頭の中に勝手に浮かんだ言葉を、本を読むように口にしてみただけ」
アリーナは不思議そうに首を傾げたが、すぐに無邪気な笑顔に戻った。
「大丈夫よ。仲間ならいつか必ず会えるんだもの。
それまでわたしたち、それぞれの夢のために頑張って生きて行きましょ!」
「はい」
クリフトはアリーナの手を握りしめた。
生きていれば必ず会える、まだ見ぬ仲間のために。
そして、大切な君のために生きる。
重なる掌の温もりが心地良くて、瞼をうとうとと閉じかけたクリフトは、次に放たれた言葉を聞くと、蒼い瞳を丸く開いてぽかんと目の前の少女を見つめた。
「さあ!次はどんな冒険に行く?
どこまでもわたしについて来て、クリフト!
!」
-FIN-