凸凹魔法陣
「クリフトッ!!」
少年の細い身体が二つに折れる。
まるで幹から折り取られた木の枝のように、がくりと力を失ってその場に崩れる。
呪われたマンドラゴラが寄生したお化け鼠は、仇打ちの成功に奇妙に満足げな表情を浮かべ、岩場に巨体を沈み込ませると、やがて自身もその命を静かに終えた。
「クリフト!いやぁぁッ!!」
アリーナは半狂乱になり、泣き叫びながらクリフトの身体にしがみついた。
「死んじゃだめよ!クリフト!!お願い、死なないで!」
「ア……アリ……さ……」
引き裂かれた自分の下腹部から、信じられないほどたくさんの血が溢れて行くのが解る。
(痛い……)
(身体が紙屑みたいにぐちゃぐちゃにされて、油をかけて燃やされてるみたいだ)
(このまま……死ぬのかな、ぼく)
(まあいいや、アリーナ様は無事だったんだし)
(最後まで好きな女の子と一緒にいられたんだから、こんな死に方も悪くない……)
「死んじゃだめよ!!」
薄れて行く意識の中で、アリーナが大粒の涙をこぼしながら叫ぶ声が響いた。
「クリフト、あんたがわたしの運命の人なんでしょ!
わたしを一人ぼっちにしちゃ駄目じゃないの!絶対に許さないわ!
わたしを置いて、死んじゃだめ!クリフト!!」
(運命の人?……ぼくがアリーナ姫様の……まさか)
(ぼくはただの、貧しい身無しごの神官見習いだってば)
(でも、もしほんとうにそうだとしたら)
(神様、ぼくはこんな所で死ぬわけには行かない)
(アリーナ様をこんなに泣かせたままで)
(でも、やっぱり泣き顔もめちゃくちゃ可愛いなぁ。こんなかわいい女の子、見たことないよ)
(ああ、もうどうでもいいや、ヘンタイでもなんでも)
(ぼくはアリーナ様が、この小さな王女様のことが、好きだ……)
薄れ行く意識。
まだ見ぬ死が、こつこつと足音を立てて近付いて来る。
灰色の視界ににゅっと姿を現したのは、きっと黄泉から迎えにやって来た死に神の顔なのだろう。
尖った鷲鼻に、眉間に刻まれた深い皺。
長く白い眉の下に隠れた瞳は、炯々たる輝きに満ち、強い威厳と怒り、そして微かな諦めにも似たユーモラスな光を湛えている。
(これが死に神の顔)
(なんだか、見たことがあるような……)
「間に合ったか。城へ急ぎ連れて行くぞ!衛兵、皆集まれ!」
日常から命令することに慣れているらしい、鞭を打つような鋭角な叫び声。
(嫌だよ、地獄に連れていかれるのは……)
「ちょっと、なにすんのよ!乱暴にしないで!わたしはどこも怪我しちゃいないわよ!」
「黙らっしゃい!」
岩を落とすような一喝に、少女がぴたりと口をつぐむ。
「貴きサントハイム王女ともあろう者が、深夜に単身城を抜け出し、ぼんくらなクリフトをそそのかして、このような魔物の巣喰う危険な洞窟まで出掛けたうえに、
こともあろうに淑女の証である、大切な髪を自ら切るなどとは!
二人ともただでは済まぬぞ!後でたっぷりのお仕置き、覚悟しておくんじゃな!」
「ク、クリフトは悪くないわよ!わたしが無理矢理連れて……」
「連帯責任じゃ!」
死に神らしい小柄な影は、身につけたローブの懐から小さな紙包みを取り出すと、ぐったりしたクリフトの上体を抱え、顎を引いて血だらけの唇を開かせた。
「安心せい、血止めの魔法は掛けた。これほどの傷、失神もせずにようも堪えたな。ひ弱なお前にしてはたいしたもんじゃ。
城までのルーラに持ちこたえられるよう、これを飲んでしばらく眠っておれ。
勘違いするんじゃないぞ。姫を止めもせず、ここまでのこのこと着いてきおって、傷が回復したら、しっかりと折檻させてもらうからの。
……とにかく今は眠れ、クリフト」
(眠って、いいんだ)
(アリーナ様……)
ざらついた何かが喉を通り抜け、瞼が誰かの皺深い指で閉ざされる。
意識に薄絹のような柔らかいベールが被さり、思考も痛みも陽射しを受けた泡雪のように、さらさらと溶けておぼろげになる。
(死にたくない)
(アリーナ様と、生きていたい)
うわごとのように念じながら、五感が消えて行く中、少女の涙を含んだ甘い息が、クリフトの耳元をくすぐったような気がした。
「ごめんね、クリフト。
……ありがとう」