あの日出会ったあの勇者



「やあ、あんたか。さっきはどうもありがとうな」

ブランカ城市の袋小路の老舗よろず屋の主人、ディートは緑の目の若者を認めると、ふくよかな顔に嬉しそうな笑みを浮かべた。

「まったく、今回もじつにいい仕入れをさせてもらった。来月もぜひまた同じ量を頼むよ。

とくにあの樫の酒杯と蔓草紋様入りの腕輪の出来と来たら、とんでもなく素晴らしい。何度言っても足りないが、あんたの木彫りの才能は神業だ。レリーフの精巧さにいっそう磨きがかかってるし、ここに来てますます腕を上げたんじゃないか。

なあ、兄さんよ。繰り事だが、いい加減こんな片田舎のブランカではした金稼ぎの木彫り売りなんざやめて、エンドールの都に己れの才を開花させに行ったらどうだい。

あんたの腕なら、王家専属お抱えの稀代の彫刻家になれる。必ず世界一の木工職人になれる。

この一年あんたの作品を買い取った儂が保証するんだ、間違いない。あんたは千年に一度の天才さ」

「もういいよ。その話。これで何百回目だ?」

どうやら気心の知れた間柄らしく、店主の言葉に若者はうっすら顔を赤くすると、困ったように笑った。

(笑った……!)

ライは思わずまじまじと若者の顔を見た。

それではこの美しいが徹底的に無表情な若者にも、誰かに向かって生の感情を滲ませた笑顔を向けることが出来るのだ。

「ところで、珍しいな。あんたが一日に二度もここに来るなんて。いつも木工製品を売るだけ売ったら、他には目もくれずさっさと帰っちまうのに。

おまけに食い物をせがむなんて。これまでどれほど得意先のよしみだって飯をおごろうとしても、家で食うからいいって頑なに断り続けて来たっていうのに。

もしかして里で待ってる可愛い嫁さんの腹に赤ん坊でも出来て、つわりでおいしい料理が作れなくなっちまったかい?」

「違う」

若者はまた顔を赤らめた。案外ポーカーフェイスとは裏腹に、他人の直截な言葉に心を揺さぶられやすいのかもしれない。

「そうじゃなくて、こいつが腹をすかしてるんだ。さっき、ちょっと知り合いになってな」

「こいつ?」

よろず屋の店主は椅子に腰かけたライを見ると、目を見開いた。

「おや、お前は二番街のバッグウェルさんとこのライアンじゃないか。こんなところでどうした。

今時分はたしか、新しい家庭教師が来てる頃だろう。急いで家に帰った方がいいんじゃないのかい」

「ライアン?」

若者が驚いたようにライを見た。

「お前、ライアンって名前なのか」

「うっ、うるせー。その名前で呼ぶな、馬鹿野郎!」

ライはかっとなって叫ぶと、木の椅子を痛くない方の足で思いきり蹴り倒し、よろず屋の店主に水しぶきを跳ねかけて憎々しげに睨みつけた。

「俺の家庭教師のことなんて、あんたに関係ないだろ!俺がなにしようが他人の知ったことか。

あんたは毎日番台に座って、役にも立たねえ道具を呑気に売ってりゃいいんだ。馬鹿野郎が偉そうに指図するな。

いいか、俺がここに来たって絶対に母さんに言うんじゃねえぞ。もしも余計な真似をしやがったら、気の利かねえ馬鹿にはあとで嫌ってくらい仕返しを……、


!!!」


その時、ばちんと音を立ててかまいたちのように飛んできた衝撃に、目から金色の火花が散った。

気がつくと濡れた石畳に転がっていたのは椅子ではなくライの方で、呆気に取られてまばたきすると、頬にじわじわと熱い痛みが広がり始めた。

「お前、なに言ってるんだ?馬鹿野郎はお前だ」

呆然と顔を上げると、緑色の目をした若者が黙って椅子を元通りに起こし、髪の先から雨のしずくを滴らせながらライを見下ろしていた。

「ライアンって言ったな。歳はいくつだ」

「じ、……十二」

「甘ったれてつっかかるのが可愛い歳は、もうとっくに過ぎてるんじゃないのか。挨拶の言葉が馬鹿野郎じゃないことくらい三歳の子供だって知ってる。

それに、この椅子はお前を座らせてやったんだ。蹴り倒される理由はない」

「う、うるせえ。黙れ!」

「俺もディートもすこしも騒いでやしない。うるさいのはお前だ」

「いきなり殴りやがって……、なんて乱暴者だ。お前なんかに頼んだのが間違いだった。もう消えちまえ。どっかへ行っちまえよ!」

「最初からそのつもりだった。俺を呼び止めたのもお前だろ」

「黙れ、黙れっ、馬鹿野郎!」

ライは悲鳴のように叫んだ。

「ちくしょう。お前が消えないなら、俺が消えてやる!二度と俺の前に現れるな。嘘つきのいかさま師め。


この……お、大馬鹿野郎!!」


起き上がって即座に駆け出したのに、足首の痛みをすこしも感じなかったのは、胸がひりつくような怒りのせいか、それともかっこわるく悪態だけついて逃げ出す悔しさのせいか。

走っても走っても雨は痛いほど降りしきり、ズボンの中までずぶぬれのライの首や顔をつぶてのように打ちつけた。

角を左に曲がり、もといた大通りの路肩の木の下に戻る。おさまらぬ怒りに木陰で何度も舌打ちし、震える唇を噛もうとして気づいた。

あいつのマントを着たままだ。
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