透明人間の秘密(連載休止中のため未完)
「神?」
勇者の少年は眉間に皺を寄せた。
「なんでまた、その神とやらがお前を消し去る必要があるんだ」
「それは、わたしがあまりにも嘘と欺瞞に満ちた愚かな存在ゆえ……」
「下らないことを言うな。そんなことでいちいち消されてたら、明日の朝にはこの世界に人っ子ひとりいなくなってる」
勇者の少年は見えないクリフトに向かってぴしりと言った。
「いいか、少し冷静になれ。俺には今お前が見えないが、そこにいるのはわかる。姿はなくても気配を感じられる。
普通の人間には無理かもしれないが、ちょっと修行を積んだ者なら簡単に察知出来るはずだ。きっとアリーナや他のやつら全員も、お前がそこにいるのを感じ取ることが出来るだろう」
「は、はい」
「つまり、お前の存在は消えてるようで、じつはなにひとつ消えちゃいないんだ。姿が見えやしなくたって、お前は間違いなくここにいる。ちゃんと生きてる。
喋れるし座れるし、ティーカップも持てる。香草茶だって飲んだ。がたがた騒ぐな」
クリフトは思わず泣き出しそうになった。
「ゆ、勇者様……」
「なんだ」
「やはり貴方は、我れら弱きものを導く至高の存在なのですね。今日ほど貴方様のことを誇らしく感じた日はありません。
ああ、やはり貴方様のもとへ参上して間違いはありませんでした。このどこまでも異様な事態さえ、聡明な貴方ならばきっと打開策を見つけて下さるだろうと……」
「まあ、確かに俺なら元に戻せないこともないと思うけどな」
「えっ」
クリフトは飛び上がった。
「ほ、本当ですか?!」
「多分な」
勇者の少年は頷くと、「そんなことより」とにわかに面白そうな顔になった。
「せっかくこうして透明になったんだ。お前、その特権はもう利用したのか」
「特権……?なんのことです」
「そりゃ、男が透明人間になったなら、やることなんてひとつしかないだろ」
勇者の少年はひっひと笑った。
「アリーナの着替えを目の前に仁王立ちしてガン見するとか、女風呂に堂々と忍び込むとか」
「ばっ、ば、馬鹿な!!そのような不埒な真似をするわけがないじゃありませんか!」
「なんだ、つまらねーの」
勇者の少年は肩をすくめた。
「魔物の仕業だか神の罰だか知らねえけど、こんな機会はなかなかないのに」
「あ、貴方というお方は……!先ほどの賞賛の言葉は全て撤回させて頂きます。
いいですか、これは戯れ事などではないのですよ。どうしてもっと真剣に考えて下さらないのですか!わ、わたしがこんなにもつらい思いをしているというのに」
「そんなにつらそうには見えないけどな。いや、そもそも姿が全然見えないけど」
「え?」
勇者の少年は肩をすくめた。
「顔が見えないから、よくわかんねえけどさ。お前、本心ではべつにつらいなんて思ってないんじゃないのか。
存在が消えてしまうなんて慌ててるわりには、ここでこうしてのんびり俺とお茶を飲んでる。どうしてさっさと皆のところに駆け込んで、お願いだから助けてくれと頼まないんだ。
みんな、部屋から出て来ないお前のことをとても心配している。こんなことになってしまったと素直に打ち明ければ、知恵を振り絞って解決策を考えてくれるだろう。
こそこそ隠れて、皆の目を盗んで出歩いて、どっちかというとお前のほうが面白がってるように感じるけどな」
クリフトはぴたっと口をつぐんだ。
なぜだろう、痛いところを正面から突かれたような気持になったのだ。
「……申し訳ありません」
「俺に謝る必要はない」
「確かに、この状況をどうにも滑稽に感じているのは事実です。
目が覚めたら急に体がなくなっているなんて、真面目に考えれば考えるほど馬鹿馬鹿しいような気がして、実際ここに来るまでの間、わけもなく笑ってしまっていました」
「まあ、笑うしかないもんな」
「皆さんに打ち明けずに貴方のところへ来たのは、単に恥ずかしかったからです。
じつは今、わたしは裸なのです」
勇者の少年は飲みかけていた香草茶をぶっと吹いた。
「そ、そうか」
「もしも皆さんの……、姫様の前で唐突に元の姿に戻ったら、それはわたしの人生の終わりを意味することになるでしょう」
「お前、日ごろは筋金入りの堅物のくせに、妙なところで大胆な行動を取るなあ」
勇者の少年は感心するように深いため息をついた。
「まあ、それがお前のいいところでもあるけど」
「まこと、申し訳ありません」
「だから謝るなって」
勇者の少年は苛立たしげに、傍らのなにもない空間をじろっと睨んだ。
「男がすぐに謝るな。たとえ身分が違うとしても、本当に悪いと思った時以外はアリーナにだって謝る必要はない。
お前はいつもそうやって、なんに対しても申し訳なさそうにすみません、すみませんと言いながら、それでも結局自分の意見を押し通す。
それは謙虚なんじゃなくて、傲慢だ。ぺこぺこしながらじつは、意外とやりたいようにやっている。お前、自分がじつはすごくわがままだってことに気づいてるのか」
クリフトは絶句した。
「わ、わたしがわがままですって?」
「そうだ。見ろ、そうやって驚くところが、お前が自分で自分を勘違いしている何よりの証拠だ。
ちょうどいい機会だ。他の奴らがどうしても言いにくそうにしているから、俺が言ってやる」
勇者の少年は決然と言い放った。
「よく聞け。このところのすべての問題は、お前のその「わたしは自分のやりたいように行動出来ていない」というねじ曲がった考え方にある。
お前は自分の本当の性格を自分でわかっていない。だから、思うようにいかないとすぐにつらい、苦しい、なんて都合のいい陶酔に浸るんだ。
はっきり言って、俺はお前のそういう自己憐憫を周囲にまき散らすところが大嫌いだね」