透明人間の秘密(連載休止中のため未完)
(ただ、あなたを守るため。
あの心優しい神官はそれだけのために、呪われし呪文を武器にしてまで戦っているの。アリーナちゃん)
クリフトが、わたしのために戦っている?
そんなのずっと昔から知ってたわ。
彼は子供の頃からただひたすら、わたしのためだけに存在している。まるで太陽を守る雲のように。大地を守る風のように。
そんなの知っていたけれど、だからといって、じゃあどうすれば彼の心に報いることが出来るのかわからない。
クリフトがわたしのそばにいるのはごく当たり前の事実だって、ずっとうぬぼれて生きて来たから。
いつも優しさを受け取ってばかり、献身されてばかり。
尽くされることに慣れていて返し方がわからない、傲慢なお姫様のわたし。
瞳からこぼれ落ちた涙がつうと頬をすべると同時に、アリーナはその場から逃げるように走って行ってしまった。
「いくらなんでも、言い方ってものがあるでしょう。姉さん」
ミネアは疲れたように額を手で押さえた。
「あれじゃあアリーナさんがかわいそうだわ」
「中途半端な物言いは返って裏目に出るかもしれないじゃないの。ただでさえふたり揃って鈍感なんだから、少しくらい辛辣に言っといたほうがいいのよ。
……ま、あんなかわいい子にきついことを言うのは、いい気分ではないけど」
マーニャは小さく息をつくと、ソファに腰掛けたきりひとことも発しないブライを振り返った。
「この小娘が、我が姫になんたる無礼な……って、今日は怒らないのね。おじいさん」
ブライはじろっとマーニャを見、ふんと鼻を鳴らした。
「こちとら、まだ目を覚ましたばかりじゃ。せっかくの清々しい朝を勘気で台無しにするつもりはない」
「アリーナちゃん、けっこうこたえちゃったみたい。ごめんね」
「まあ、よい。決して感心出来るやり方ではないが、姫もいつかは知らねばならぬことじゃ。このままクリフトと共にいる限りはな」
「そうよね。こういうのって、早いうちに越したことはないわよね。だってあのふたりは、この旅が終わった後もずっと一緒に生きて行くんだもの」
「なにを!わしゃそんなことはひとことも言うとらんぞ」
「へー、そうかしらね」
マーニャは意味ありげにウインクした。
「あたしにはむしろ、おじいさんは一生懸命ふたりをくっつけるためのお膳立てに奔走してるように見えるけどな。
それなら聞くけど、世界を救うなんて大それた目的の旅で、熟練の騎士でもない一介の神官クリフトを、わざわざお姫様を守る従者に任じたのはなぜなの?
そこにはおじいさんだけじゃない、サントハイム王家の何らかの意図が働いているからじゃないの?
もしもうまく目的を達し、無事にお姫様を祖国へ連れ帰ることが出来たら、男としてこれ以上の功績はないわ。クリフトは国中から英雄と讃えられ、望外の恩賞を授かるでしょうね。
そうなれば、名実ともにアリーナちゃんの伴侶として世間に認められる。王家も大義名分を以って彼を迎え入れることが出来る。
聖職者って立場だって、王の名のもとに還俗(げんぞく)を命じさえすれば、彼はすぐにでも神の子供を辞めてただの人になれるわ。
サントハイムは国をあげて彼を応援してる。そのためにクリフトをアリーナちゃんの従者として送りだした。どう、違うかしら?
あのふたりが絶対に結ばれることはないなんて、決してあたしは思わないけど」
「他国の俗物娘が、知りもせぬくせに痴れたことを。
お前なんぞに我が主君の貴いお考えがわかってたまるか」
ブライは腹を立てて言い返そうとしたが、思いなおしたように口をつぐんだ。
「……まあ、な。実際はそのように簡単な話ではないが、それを望む者が国元には存外多いというのはまことの話じゃ。
クリフトはあのような性格ゆえ、城下の民ばらや信仰家たちにずいぶんと慕われておる。奴とアリーナ姫が幼い頃から共にすごして来たのも、皆にとっては当たり前に眺めて来た光景だったからの。
クリフトはな、最初から聖職者となることを望んでいたわけではない。
奴はわしが連れて来たのじゃよ。まだ幼かった頃、サランの修道院から王城直下のサントハイム城市教会へ。
そして、奴はアリーナ姫と出会い、神の子供となり、そののちの人生すべてを神と姫のためにだけ費やして生きて来た。
そういう意味では、奴という人間はわしとアリーナ姫の存在によって無理矢理作られてしまったものなのやもしれぬ。
……忌むべき死の魔法を、その手に得てしまったことすらも」
マーニャは目を見開いた。そこにいた皆が黙りこくり、しん、と水のような沈黙が広がった。