凸凹魔法陣
「任せたわよ!」
アリーナ姫は我が意を得たりとばかりに顔を輝かせると、胸の前で小さな手を組み合わせ、照り映えるような目でクリフトを見つめた。
(かっ……可愛い。めちゃくちゃ可愛い)
クリフトはあんぐりと口を開けたまま、思わずその愛らしい姿に見とれ、はっと我に返って首をぶるぶると大きく振った。
(馬鹿、馬鹿、馬鹿!な、なにを考えてるんだ、ぼくは)
(この大変な時に……、そんなことより、今この状況をなんとかしなくちゃ)
(幸い、姫様はぼくがてんで魔法に詳しくない事に、気付いてないみたいだし……一か八かこの際、やってみるしかない)
「では姫様、まずぼ……わたしに、先程の檜の棒。それと、呪文の書かれた紙をお貸し下さい」
「解ったわ」
アリーナはおとなしく頷いて、造り物の棒と呪文の書かれた紙をクリフトに手渡した。
「それにしても、随分年季の入った羊皮紙ですね。
書かれている文字もかなり古いものだし、一体このような貴重なものを、どうやって」
「お城の地下の、禁持出の魔法書庫からよ」
クリフトはぶっと吹き出した。
「な、な、それじゃ」
「丸ごと持ち出すとすぐにばれちゃうから、必要な所だけ破って来たの。
大丈夫、後から糊でちゃんとくっつけておくから」
唖然とするクリフトに、アリーナは楽しくてならぬように片目をつぶってみせた。
「わたしとクリフトの秘密。ブライには言うんじゃないわよ」
「も、勿論です!」
(もしブライ様にばれたら、一週間夕食抜きどころじゃ済まないぞ)
これはなんとしても、お化け鼠などいないことを、傍らの小さなあるじに証明し、夜が明ける前に、早々に城へと戻らなければ。
「姫様はそこにいらして下さい。入口を見張っていて」
クリフトは覚悟を決めるとアリーナの手を離し、暗闇の広がる洞窟に向けて、足を踏み出した。
洞穴内に身体を入れた途端、先程までとは違うひんやりとした空気が肌を撫でる。
(足音がこんなに響く……かなり広い洞窟なんだ)
(これなら、ぼくの勘はきっと……当たる)
そのまま十数歩進み、月の光も微かしか届かない、薄暗い場所まで来て足を止めると、振り返ってアリーナと距離が出来たことを確かめる。
クリフトは張りぼての檜の棒を両手で持ち、腰を屈めて、岩肌が剥き出しになった地面に、大人の身体が丸ごと入るような大きな円をがりがりと描き始めた。
「おーーい、クリフトぉ?お前、なにをやってんのー?」
「魔方陣です!!」
クリフトは手を止めずに叫び返した。
「わたしのような非力な者が、いにしえの魔法を発動させるには、印と呪文だけではなく、力の増幅装置としての魔方陣が必要なんです!
まず円を二重に描き、その帯状の部分に、発動したい魔法の属性の聖句を描き込む!
それから中心には五芒星を配し、自分の魔力をそこへ……」
「なんでもいいからぁ、早くしてちょうだーい!!
一人でこんな所に立ってるのは、疲れたの!」
(くっ……)
クリフトは唇を噛んだ。
(ま……いいか。どうせ神学校の授業でかじっただけの、うろ覚えの出鱈目だし)
(大切なのは、これからだ)
円を囲み、点と線を繋ぎ、地面に巨大な魔法陣を描き終えると、クリフトは入口に向かって、「今から精神統一しますからね!もう少しお待ち下さい!」と叫び、
それから今度は猛然と端の岩壁に向かって走り、膝をついて、手探りで辺りを必死で捜し始めた。
(この広さ、天井の高さ……それに噂では、襲われたのは鉱夫だと言ってた)
(ここは鉱山なんだ!だとすれば、鉱夫達が作業中に使っている明かりの源が、きっとどこかにある)
(使い古しの松明か、爆薬の残りか何かが)
ごつごつした岩肌を素手で撫で回し、掌のあちこちが擦りむけるのを堪えながら、クリフトは四つん這いになり、それでも辺りを探しに探し、
(ああ、やっぱりダメか……!
このまま入口に戻って、姫様に無理でしたとお詫びするしかない)
と、絶望的な気分になりかけたその時、指先に何かが当たって転がり、からんと渇いた音を立てた。
(あった!松明だ!)
急いで掴むと、湿っていないかどうかを手触りで確かめ、布の巻かれた先端を鼻先まで持って行く。
(新しい松脂の匂い……。まだ十分に使える)
(あとは、爆薬だ)
松明があるなら、必ず岩壁を発破するための爆薬もある。
不思議な確信に包まれて、クリフトはそのまま岩の床を探り続け、すぐに予感通り、岩壁のそばに紐で縛られた何本かの大きな木の筒を見つけた。
「クリフト!?まだなのーー?」
「は、はーい、あと少し!」
覚束ない手つきで硬く結ばれた紐を解き、木の筒の上部を蓋を開けるように回すと、筒が開いて二つに別れ、中から黄銅色の粉末がざらりと溢れ出る。
クリフトは一掴みそれを握ると、松明全体にたっぷりとこすりつけ、次に岩壁を檜の棒で力いっぱい引っ掻いて、削り落ちて来た粉も集めて、松明にこすりつけた。
(よし!)
先程描いた魔法陣の中心に、粉まみれになった松明をそっと置く。
「行きますよ、姫様!」
クリフトはすうと息を吸い込み、その場に片膝を着いた。
お腹の底から声を上げ、うろ覚えだったがいかにもそれらしい呪文を叫ぶ。
「神よ、求め訴えたる我に力を!!
フロイデ・ルドレ・クロレス・エレス……
光よここに!レミルーラ!!!」