透明人間の秘密(連載休止中のため未完)
路銀もそう多くはない旅では、宿でひとりが一室部屋を独占する余裕などない。
だが、山岳地帯や砂漠を行軍中はテントを張り野宿するが、平原地で街や村を見つけたら原則として宿屋に泊まることにしている。
一行の暗黙の了解だ。女性を多くまじえた旅で、それはある種の礼儀のようなものだった。
妙齢の、ましてや中には一国の王女も含める彼女たちに、連日野宿を強いることは出来ない。清潔な浴場で髪も洗いたいだろうし、服を洗濯して寝間着に着換え、やわらかなベッドで手足を伸ばして横になりたいだろう。
なにより宿を取れば、凶悪な魔物の夜襲に怯えながら目を閉じなくてもいい。不寝番の見張りもお役御免だ。暖炉の火にあたりながら、仲間同士で徒然に寝酒を楽しむことだって出来る。
苛酷な戦いの連続の日々を送る一行にとって、宿泊はその日を生き抜いたあかしでもある貴重な褒美だった。
だから今さら、誰と誰が相部屋になろうが文句など口にするはずがない。
が、その日だけはなぜかちょっとした騒ぎが起きた。
「拙者は今宵は、ブライ殿と相部屋で」
常日頃から自身の要求などめったにしないライアンがこう言ったので、金品の管理役兼部屋割り決めの係でもあるクリフトは、不思議そうに目を見開いた。
「それは、べつにかまいませんが……お珍しいですね。どうかなさいましたか」
「なに、髭をたしなむ洒落者同士、以前からブライ殿とは一度腹を割って話したいと思っていたのでな」
ライアンは肩をすくめた。
「構わぬか、ブライど…」
「よかろう」
若干食い気味にブライが頷いた。
「ちょうど、ライアン殿の漆塗りのごとき見事な髭の秘訣を知りたいと思うていたところじゃ。このところ旅の疲れか、わしの自慢の白髭にハリツヤがなくて困っておる。
いざ、枕を並べ心ゆくまで髭について語り合おうぞ」
「そ、そうですか。髭……」
クリフトは廊下を指し示した。
「ではライアンさんとブライ様は、一階左端のふたり用のお部屋をお使い下さい。トルネコさんは……」
「あ、じゃあわたしは今日は勇者様とご一緒させて戴くことにしましょう。いいですよね、勇者様」
トルネコが急いで言ったので、勇者と呼ばれる緑の瞳の少年は一瞬驚いたようだったが、目が合うとおとなしく頷いた。
「ああ」
「わたしたちも一階のふたり用の部屋を使うとして、女性陣は三人ですから、廊下を進んで東側の大部屋ですね。
ということで、クリフトさんはおひとりでニ階の一番奥の天窓付きの部屋をどうぞ。
よかったですね、クリフトさん。今夜は誰にも気を回すことなくひと晩ゆるりと羽根を伸ばせますよ。
どうぞおくつろぎを。では皆さん、お休みなさい」
「はーい。おやすみなさい」
「また明日ね」
「よい夢を」
まるで全部あらかじめ決めていたかのように、あっという間に各自の部屋割りが分担されると、仲間たちはみな蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまった。
クリフトは廊下にぽつん、とひとりきりになった。
(……ま、いいさ。
ある意味、今までこうならなかったことのほうがおかしいのだから)
クリフトはため息をついた。
誰も、不吉なザキの使い手と同じ部屋で過ごして、死の魔法の穢れをもらいたくはないのだろう。
(いいさ、いいさ……)
しかし、今日のわたしはそんなにも嫌な邪気を漂わせているのだろうか。
意味のないこととわかっていながら、クリフトは服の腕に鼻を近づけてすんすん、と嗅いでみた。当然、なんの匂いもしなかった。
魂を無の闇に送り込む死の呪文を唱えた使い手の体からは、独特の臭気が発せられるという。無論、臭気と言っても匂いではない。
それは例えて言うなら湿気のような、目に見えぬがそこにちゃんとあるもの。命を奪う者の身体に苔のようにこびりついて離れない、死の翳り。不吉そのものの気配。
呪文が帰結し、戦いが終わってしまえばそれはきれいに消えるはずなのだが、並はずれて鋭敏な第六感を持つ導かれし者たちは、恐らく気づいてしまうのだ。
この男――――クリフトはまだ、死に憑りつかれている、と。