透明人間の秘密(連載休止中のため未完)
わたしは今、ここにいる。
一見当たり前でなんの変哲もないその事実を、こんなにも美しいと思えるようになったのは、これから語るとある事件が大きなきっかけだ。
人はその存在を他人の目で見られ耳で聞かれることによって、初めて生きているという意味を持つ。
けれどあの時、わたしが経験した数日間は、そんな通りいっぺんの常識さえ吹き飛ばしてしまう、確かで揺るぎない奇跡に満ちていた――――。
透明人間の秘密
「神の救い届かぬさ迷える暗き魂に、闇からの真の消滅をここに……!
滅 び よ!ザ キ !!」」
聖杖を構えた両手を高々と掲げ、神官クリフトは今日も、世界中でたったひとり彼にのみ授けられた死の魔法の呪文を唱えた。
ザキ。
その文言を口にすると、いつもは澄みきった海のように輝いている彼の蒼い瞳にもやがかかり、ぱくりと開いた瞳孔が不吉な血の色に染まる。
共に肩を並べて戦っていた仲間たちは思わず動きを止め、固唾を飲んでその様子を見守った。
サントハイムの誇る神の子供が、一瞬にして無慈悲な死神の使いへと変じてゆくありさまは、常日頃の彼が温厚で優しければ優しいほど、不気味で恐ろしく、またそれゆえ奇妙に荘厳なのだった。
邪悪な爪と牙をひらめかせ、今まさにこちらへ飛びかかろうとしていた巨大な魔物は、空中で突然静止した。
ザキは全身に温かい血を通わせる心臓に、一撃必殺の破滅の斧を容赦なく突き立てる。
クリフトがひゅうと息を吸って手にした杖を振ると、それが合図のように魔物はかっと目を見開き、そのまま頭から地面にどうと崩れ落ちた。
黄色い土煙が大量に舞い上がる。あれほど殺意をみなぎらせていた魔物は、まるであやつり糸を切られてしまったパペットのようにぐにゃりと力無く横たわり、もう二度と動きだすことはなかった。
痛みも苦しみも、恐らくないだろう。敢えて言うならそこにあるのは、圧倒的な困惑だった。
土煙がおさまり、視界が元通りに開けてきた頃、魔物の体は既に溶けて大地の藻屑と消えている。
彼はその身が朽ちても、自分が死んだことに未だ気づいていなかった。
自分が死んだことに気づけない者は、終着点のない迷路に迷い込んだように永劫の無をさまよい、天国へも地獄へも、決して辿り着くことが出来ないのだった。