雪花
語り続けるピサロの言葉は穏やかで、水のような静けさに満ちていた。
だがその口調とは裏腹に、掲げた誓いに何人たりとも揺るがしようのない決意を感じ、影の騎士は体が震えだすような不安に襲われた。
ピサロ様は己れを犠牲にして、地獄の帝王すら凌駕(りょうが)する、かつてない力を手に入れようとなさっている。
まだ若い王である彼の身に、ここまで決意さしむる一体何が起こったのいうのか。
恐らくそれは、山奥の集落で天空の勇者を斃したことに関係しているのだろう。
だがここでこうしてロザリーを守り、王が臨んだ戦いに供しなかった自分には、その理由がわからない。
「ロ、ロザリー様は、貴方様の今のお言葉をお聞きになりましたら、どんなにかお嘆きになりましょう」
何を言えばいいのか解らず、ただ身を引き絞るような焦りに憑かれて、影の騎士はうわごとのように叫び続けた。
「ロザリー様には、貴方様がいないと駄目なのです。貴方様と共に生きることをお望みなのです。
雪花を、あれほど見たいとおっしゃられておりました。春を迎える前の、冬の終わりに幾日かだけ咲く白い花を、ピサロ様と共に……!」
「雪花……、か」
ピサロは呟いた。
「ピサロ様を愛しています」とほほえんで、胸に顔を埋めた小さな精霊の娘。
眩暈のような追憶が押し寄せ、感情のうねりに意識がさらわれる。
蒼き塔の窓辺にふたり寄り添って、他愛ない子供の遊びのように、いつまでも花の名を順に繰り返したこともあった。
花の名が、うつくしいということを知った。
あのひとときだけは、自分が魔族の王であることを忘れた。
ピサロ様
ピサロ様 もっと強く抱きしめて
どうか
どうか わたしを離さないで
(ロザリー)
儚い花のようなあのいとおしいほほえみを、いつまでも傍で守り続け、離さないでいられたら。
だが、そんな未来は来ない。
「同じことを二度は言わぬ。只今命じた件、頼んだ。いずれまたこちらにも足を向けよう」
「ピサロ様!」
立ち上がったピサロを、影の騎士は焦って呼びとめた。
「なんだ」
「あ……、あ……」
なにか、言わなければ。
止めなければ。
ピサロ様……!!
「ロ、ロザリー様は、このわたしが命に代えてもお守り致します」
だが、言葉はそれ以外には出なかった。
緑金色の甲冑の騎士は膝まづき、胸に手をあてて深く頭を下げた。
「貴方様に成り代わり、この命を懸けましても」
「たやすく命に代えるなどと口にするな。ロザリーが悲しむ」
ピサロはほほえんだ。
「それに、わたしもだ」
「え……」
「魔物に友誼が存在するのかは知らぬが、もしもあるとすれば、影の騎士よ、お前はわたしの初めての友だった。
恐らく、最後の」
「……ピサロ様」
「ロザリーを頼む」
ピサロは漆黒のマントを翻し、部屋を出た。
扉が閉まる音を背中で聞き、はっと足を止める。
ロザリーが立っていた。
「……ピサロ、様……」
「……」
ピサロは黙ってロザリーを見た。
血の色のまったくない、狂いそうなほどの不安で蒼白の顔。細い肩が小刻みに震え、立っているのもやっとのようだ。
話を全て聞いていたのだろう。
紅い、ルビーのきらめきをたたえた瞳を見ていると、不意にピサロの胸に引き裂かれるような鋭い悲しみがこみ上げた。
(この娘をここへ縛りつけたのは、わたしだ)
出会ったあの時、森の奥へと還してやれば、精霊の仲間たちと共に外の世界を自由に生きることも出来たものを。
わたしがお前の生を奪ってしまった。
「ロザリー、わたしは人間をみな滅ぼすことにした」
ピサロはロザリーを優しく抱き寄せた。
「わたしはそのために力を得、さらなる巨大な存在になるつもりだ。
まもなくこの世界は、裁きの炎に焼かれるだろう」
「ピサロさ……」
ピサロはロザリーの額にくちづけた。
「影の騎士が、わたしの代わりにお前を守る。
わたしの仕事が終わるまで、ロザリー、お前はここに隠れているのだぞ」
「ピサロ様!ピサロ様……!」
ロザリーの瞳から涙があふれた。
「だ、駄目……!駄目です……!」
「泣くな」
ピサロはロザリーの頬にくちづけた。
「わたしはただ、お前を守りたいのだ」
「ピサロ様……!」
「ロザリー」
ピサロは言いかけて一瞬ためらい、だが体を離しながら短く言った。
「愛している」
漆黒のマントが翻る。
ピサロが背を向け、去って行く。
ロザリーは両膝をつき、その場に崩れ落ちた。
「ピサロ様……!待って!お待ち下さい……!」
(今別れたら、もう会えない)
(今のあのお方には、もう二度と会えない)
「ピサロ様!ピサロ様……!!」
だがピサロは足を止めることはなく、もう振り向くこともなかった。
ロザリーは残された。