凸凹魔法陣


「いーやーだ!!いやだ!」

「うるさいわね!行くと行ったら行くのよ!」

空に浮かぶ満月は、犬の喧嘩のようにわめき騒ぎ立てる二人を、どこ吹く風で静かに照らしている。

首根っこを掴まれ、ずるずると引きずられて行きながら、クリフトは半泣きで叫んだ。

「ぼ、ぼくは気に入ってるんです、この静かな夜が!

満月の夜くらい誰も外出する事なく、静寂の中で神を思う時間を過ごしたっていいでしょう!

それにお化け鼠なんて、単なる噂に決まってる。魔物が人を襲う時代は、何百年も前に終わったんだ」

「一番最近の目撃情報は、東の岩山の洞窟らしいわ」

アリーナはクリフトの叫びなど全く無視して、ぺろりと唇を舐めた。

「仕事に向かう鉱夫達が、突然背後から襲われたらしいの。

そいつは世にも恐ろしい唸り声をあげて、逃げ惑う皆を一人ずつ捕まえ、まるでプレッツェルを食べるように、全員を順番に噛み砕いていったらしいのよ」

「そ、そんな……あれ」

クリフトはふと首を傾げた。

「でもそれ、一体誰から伝わって来た噂なんです?

だって、全員が殺されてしまっているんでしょう」

「知らない」

アリーナ姫は肩をすくめた。

「とにかく、そんな悪い怪物をいつまでも、我が愛するサントハイムにのさばらせて置くわけにはいかないわ。

クリフト、お前ホイミが使えるわよね」

「つ……使えると言ったって」

クリフトは顔を赤らめた。

神学校で様々な魔法を学んではいるが、一向に上達の兆しは見られず、この頃なんとか使えるようになった回復魔法だって、小指の先の切り傷を治す事が出来る程度のものだ。

「戦いの中、もしわたしが怪我をしたら、お前の魔法ですぐに回復させてちょうだい。

わたしはこれを持って来たの。やつの頭を、思い切り殴り飛ばしてやるわ」

背中をごそごそと探り回ると、得意満面の表情で取り出したのは、中をくり抜かれ、表面には漆を塗られてつやつやに磨き立てられた、鑑賞用の檜の棒だった。

「……それ、お城の廊下に展示されてるものを盗んで来たんでしょう」

「どうして解るの」

アリーナは目を丸くした。

クリフトはため息をついた。

「そんな張りぼての武器じゃ、スライム一匹やっつける事すら出来やしませんよ。

それよりよほど姫様の蹴りの方が、魔物を倒す威力があるというもの……」

クリフトははっとした。

しまった。

「あ……あのう」

こわごわと振り返ると、そこに、全身から眩しいほどの生気を放つ小さな少女が、両の瞳に星を十個ずつほどちりばめ、頬を真っ赤にしてこちらを見つめていた。

(ああ、やっぱり……)

「そうよね!そうよね、クリフト!

ずっとそう思ってたの!わたしには蹴ったり打ったりする武術が合ってるんじゃないかって!

お父様や大臣たちは、護身用に剣技を習うのは悪くないっていうわ。

でも足を振り上げ、拳で殴る武術は、野蛮な下賎のする事なのですって。

だけどわたしは武術が好きなの!自分で解るのよ。

研ぎ澄まされた空気の中、間合いを詰めながら、身体一つで相手と立ち向かうあの瞬間。

変装してこっそり忍び込んだ道場で、まだ何度かしか戦った事はないけど、体中の血が沸騰したお湯に変わるような気がした。

これだ!って思ったの。

わたし、わたし、だから武術を習いたい。もっともっと戦って、誰よりも強くなりたいの!」

無邪気だが、どこか必死な光を湛えた瞳を見ていると、クリフトは不意に身体の内側をぎゅっとわしづかみにされたような気がして、息を飲んだ。

(なんて一生懸命なんだろう。このお姫様はまるで、太陽を目指してひたむきに体を伸ばす、逞しい向日葵みたいだ)

(ぼくには、あっただろうか?こんなふうに自分が進みたいと思う道を、心から強く望んだ事が)

(両親を亡くして修道院に入り、当たり前のように神学を学んで、神を敬ってさえいれば、いつかは立派な大司教になれると信じていたけど)

(それがほんとうに、ぼくが進みたいと思っている唯一の道なのだろうか……?)

「と……とにかく」

慌てて咳払いすると、クリフトは顔を引き締めた。

「姫様のお気が済むのなら、東の岩山までは着いて行くことにします。でもいるはずがありませんよ、お化け鼠なんて。

それが解れば、すぐにお城へと戻って頂きますからね」

「本当に面白みがない奴ね、お前は」

アリーナ姫は冷ややかに目を細めた。

「わたしとは正反対。全く持って性格が合わないわ。

いつかわたしが大きくなって、腕試しの旅に出掛ける時が来たとしても、お前だけは絶対に連れて行かないでしょうね」

(く、くそぉ……)

クリフトは引きつった笑いを浮かべながら、その場に膝をついて深く頭を垂れた。

どんな場合でも、愛すべき主君には心からの忠節と儀礼を。神父から毎日叩き込まれている大事な教えだ。

「只今これからどのような事が起きようと、ぼ……わ、わたしが、全力でお守り致します、姫様。

我を共にとお選び頂いた光栄、誠に篤き、あ、あつ……」

「だーめ。噛んでるわよ。最初からやり直し!」

「……」
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