雪花
「無駄なんかじゃない」
腕に力を込め、こめかみに血管の浮き出た男の食いしばった歯から、ほとばしるような叫びが洩れた。
「ここで、あいつと出会ったこと。
あいつに剣を教えたこと。
あいつとこれまで過ごした日々は、俺にとって何ひとつ無駄じゃない。
俺は、光が闇に打ち勝つのを信じる。
勇者であるあいつの心に宿る、決して消えない光を信じる。
たとえここで俺たち皆が死のうとも、あいつは必ず生きる。
生まれて初めて外へ出て、広い世界を自分の目で見るんだ。
そこで、仲間と出会う。
生きることの素晴らしさを知る。
前を向いて戦う勇気を知る。
あいつは、俺たちの誇りだ。
俺たちの希望だ。
俺は、あいつに眠る光を信じる。だから、心から安心して死ねる」
「何が光だ。下らぬ」
氷のようにつめたく保たれていたピサロの表情が、不意に強烈な怒りに歪んだ。
「光がなにをもたらす。貴様らの口にする言葉は全て虚仮(こけ)だ。
天空の勇者が、自ら光の存在になりたいとでも言ったか。選ばれし者とは都合のよい詭弁、他人の欲得ばかりを押し付けられる、さだめにとらわれた囚人だ。
欲しいものを、欲しいとすら言えぬ。守りたいものを守ることも出来ぬ。
そしてある日突然、さだめの業に蝕まれて己れの自由な生を奪われる。力がないからだ。
力を持たぬ者には、生きる資格などない!」
勇者の剣の師範の男は、目を瞠った。
剣が溶ける。
ピサロの瞳にくるめく紫色の虹彩が開き、飴のように溶け落ちた剣を払いのけると、片手で男の喉元を掴み上げた。
「……っ、……!!」
「カササギのようによく喋る、うるさい貴様の口を黙らせてやろう」
ピサロは魅入られたように哄笑した。
「灼熱の業火に、消し炭のように焼かれたいか。それともその身を薪の如く切り刻まれたいか。選べ」
すさまじい力で首を締めあげられ、男は言葉を発することも出来ず激しく呻いた。
だが苦悶する表情の中で、目だけが死なずに鋭く敵を射抜き、ピサロがかっとなってもう片方の手を振り上げ呪文を唱えた、そのとき。
「やめろ」
若い声音が響いた。
ピサロは、顔を向けた。
「……お、お前……、なぜ……!」
剣の師範だという男が呻きながら首をもたげ、つぶれた声で呆然と呟いた。
「な……ぜ、ここへ……!?」
その瞬間、ピサロのもう片方の手の中心が光り、致死呪文の閃光を放った。
男の心臓を、赤い光がどうと貫いた。
「師範!」
走り寄って来た人影は、ピサロを突き飛ばすように押しのけ、男の体を抱え上げた。
「師範!師範!」
「馬鹿野郎……!
お前……なぜ、な……ぜ、来たんだ……!」
「知らせに」
凛とした若い声が、毅然と言った。
「「俺は、大丈夫」だと、知らせに」
男は目を見開いた。
「……お、お前、その姿……。
まさか……、シン……」
声の主がにこりとほほえむと、天空の勇者の剣の師範だという男は、あえぎながら頷いた。
もはや自由に動かなくなった、痙攣する指をよろよろと空中に持ち上げる。
「……そう……か。
そうだったのか。
済まなかったな。君に、そんな役目を……」
「あとで、会おう」
若い声の主は短く言った。
「星の海で、みんなで」
「……ああ」
師範の男の頬を、白い涙が伝った。
「会いたい。
また、会いたいな。
この村の皆に。
あいつに。
あいつが強くなった姿を、この目で、見たかっ……」
男の首ががくりと落ちた。
若い声の主は男の体を大事そうに地に横たえ、両手を胸の前で揃えてやると、立ち上がってまっすぐにピサロを見つめた。
緑の目。
肩先に流れる髪。
整い過ぎてどこか痛々しさすら感じる、神々しくもうつくしい少年の顔と長い手足。
地獄の帝王を滅ぼす、天空の勇者。
荒れ狂う炎の中、ピサロと勇者の少年は、ついに音もなく向かい合った。