雪花
「外道……、だと」
ピサロの呟きに、天空の勇者の剣の師範だという男は、挑戦的に笑って頷いた。
「ああ、外道だ。外道以外のなにものが、このような不埒な暴虐を働く。
貴様らは魔族と名乗っているが、魔なるものですらない。善悪の判別つかぬ、根っからの卑しい外道だな」
「戦士の風体で、女子供のようによく喋る口だ」
ピサロは剣を抜こうとせず、皓々と光る紫の瞳で男を睥睨した。
「邪魔だ。去れ」
「去らないと言ったら」
「わたしに剣を向け、勇者を助ける時間稼ぎでも算段するつもりか。痴れた奴」
「無論、親玉の貴様にそうたやすく勝てるなどとは思っていないさ。
だが、こうして一太刀浴びせることくらいは出来る!」
男は突如跳躍するや、ピサロの右肩に向けて猛然と剣を繰り出した。
ピサロが微動だにしなかったので、鋭い剣先は突風のような音を立てて衣服ごと肩先を斬り裂いた。
漆黒の王衣が、たちまち朱赤に染まる。だがピサロはよけようともせず、反撃しようともせずに凝然と立っていた。
「どうした」
ピサロはほほえみ、闇が地の底から這い出して来るような声で言った。
「それで終わりか。貴様は化け物の外道が、憎くてたまらぬのだろう。
もっとやるがいい、人間」
「この剣には毒が塗ってある」
まだそう歳をとっていないであろう剣士は、極度の緊迫のためか額から脂汗をしたたらせ、それでも余裕ある笑みを崩さなかった。
「即効性の毒だ。すぐに全身に回るぞ」
「生憎、人間の毒ごときでわたしは死なぬ」
「安心しろ。殺すのが目的じゃないからな」
ピサロはゆるやかに紫の瞳を細めた。
「機に乗じ、勇者を村の外へ逃がしたか」
「ああ、そうだ。とっくに逃がした。
あいつは無愛想で生意気だったが、わたしの可愛い最初で最後の剣の弟子だ。貴様ら外道に、むざむざ殺されてなるものか。
あいつはもうここにはいない。貴様らの悪行は、全くもって無駄だったということだ。恥じろ、外道」
「そうは思えぬな」
右肩から血を吹きこぼしながら、ピサロは暗い嘲笑を浮かべた。
「貴様、時間稼ぎと言いながらなぜそう急く。
よもや、集落の外へわざと我れらを誘導しようとしているのではないか」
「……」
「どうした。なぜ答えぬ。饒舌な師範殿よ。
貴様の不自然な急ぎ方、天空の勇者はじつはまだ、この村のどこかに隠れているのではないのか。
このすさまじい炎の中、確実に五体無事で生き延びられる場所。
例えば、地下」
瞬間、剣士が物も言わずに再び跳躍した。
ピサロはまた動かなかった。
が、毒の痺れが眩暈を引き起こし、我れ知らず足元がぐらりとふらついて、それが結果的に相手の攻撃を避けることになった。
剣士は刃が相手の心臓にあたりきらぬことに気づき、空中で剣を逆手に持ちかえ、そのままピサロの懐に砲弾のように躍り込んだ。
柄の一撃が、甲冑をつけないピサロの胸に強烈に打ち込まれる。そのまま引き下ろした二の剣が、黒衣を裂いて下衣をすぱりと縦に斬った。
ピサロは突き倒され、ふたりの体はもんどり打って海藻のように絡まり、地面を転がった。
勇者の剣の師範だという男はすかさず身体を起こし、歯を食いしばってピサロの顔の真ん中に、剣を突き下ろそうとした。
ピサロは表情をまったく変えぬまま、師範の男の手の上から剣の柄を握った。
男がどれほど力を込めようとも、刃はピサロの鼻先ぎりぎりに差し向けられ、それ以上全く動かなかった。
剣の師範だという男の顔がぶるぶると震え、真っ赤に染まる。
「人間がどう抗おうとも、無駄だ」
ピサロは無感動に怜悧な声で言った。
「貴様の勇は買おう。だが、何をやろうとも無駄だ。人間は決して我れら魔族には勝てぬ。
光は闇に飲み込まれる。それがさだめだ」
「無駄じゃない!」
男は絶叫した。