雪花
吹きあがる巨大な炎の残像が、まぼろしの熱流を伴ってピサロの体を包み込む。
……ユウシャヲ コロセ
テンクウノ ユウシャヲ コロセ
メザワリナ ユウシャヲ コロシテシマエ
魔物が叫んでいる。
ピサロ麾下の魔族郎党の意気揚々な叫びは、人間たちの耳を刺す呪詛の句となり、いつのまにか放たれた炎は、村一帯を舐め尽くすように火柱を上げる。
全てを飲み込む苛烈な炎の前にあって、ちっぽけな剣も槍も、およそ何の役にも立たない。
「全軍、攻め込め!」
精霊のうたう、風と鳥の歌の流れる平和な村を、突如襲って滅ぼした。
開戦の口火を切ったのは、たしかに王である自分だった。
前触れもなく現れた魔物の一団にも、村人たちが過剰な驚きを見せなかったのは、常からこの日のための覚悟を決めていたのだろう。
だが魔物の黒い影がかまいたちのように空を斬り裂き、炎に包まれた石造りの住居が瓦礫と化して崩れ落ちると、やがて人々の口からおさえ切れぬ悲鳴が上がった。
「堪えられませぬな。人間の悲鳴は、我れら魔族にとって妙なる管弦楽です」
村のあちこちで始まった人と魔物との戦いに、エビルプリーストは高揚のあまり声を上ずらせた。
「そうだ、皆殺せ、殺せ!
勇者を探して、ひと思いに殺せ。攻撃の手を緩めるな!
ああ、あのエルフの娘はいずこに隠れおったか。早く探し出して食らってしまいたい!」
「貴様は芯からの痴れ者だ。魔族とて、戦いに矜持はあろう」
ピサロは露骨な嫌悪をあらわにして、厭わしげにエビルプリーストを見た。
「わたしは、誇りある死者を辱めるなと言った。なぜ、天空の勇者を斃(たお)してから火を放たなかったのだ。
無用な苦しみは必要ない。ザラキーマの致死呪文で、全てを一瞬にして葬り去ればよい」
「また、貴方様の下らぬ深情けですか。綺麗事をおっしゃるのはもうやめたらどうです、デスピサロ様」
エビルプリーストは昂奮にあかあかと顔を照らして、ピサロの顔を覗き込んだ。
「どの道、あなたはこれからここにいる全ての人間を殺すのです。矜持だの仁義の真似ごとなど、今さら何の役にも立たない。
それに、止められますか?貴方にあの魔物たちを。
戦いは既に始まり、貴方の忠実なしもべたちは久方ぶりの人間の生き血に、飢えた狼のように高ぶっている。
ああなってしまえば、もはや貴方様の御命令とて誰ひとり止まりませぬぞ」
ピサロは村の中心へと歩みを進めながら、四方で繰り広げられる魔物たちの狂乱を見つめた。
エビルプリーストの言った通り、嗜虐心に火がついた魔物たちは牙をむいて恍惚に我れを忘れており、つい先ほどまで花々の香っていた緑豊かな大地は、既に一面朱で染まっている。
(魔物、とはよくも言ったものだ)
ピサロは足を止め、目を閉じた。
我れらは魔物。
我れらは、魔なるもの。
邪悪を是とし、決して光の中では生きられない存在。
わたしはその王。
この惨劇を望んだ結果ではなかった、と言い訳するほど怯懦な心根は持っておらぬ。
わたしが魔族の王だ。
わたしがまぎれもなく、この殺戮を命じた。
「ま、待て!」
その時、村人のひとりがぶるぶる震える手で剣を握り、目を血走らせてピサロの前に立ちはだかった。
「お前が化け物どもの親玉か!俺たちの大切な村で、これ以上の無法は許さん!
止まれ!止まらんと、斬るぞ!」
ピサロはちらともそちらを見ずに言った。
「止めておけ。貴様にわたしは斬れぬ」
「うわあああっ!」
村人が絶叫し、剣を振りかぶって襲いかかる。
ピサロはほとんど体を動かさずに足さばきだけでひらりと身をかわし、すかさず伸ばした右手で、飛び掛かって来た村人の喉元をわしづかみに掴んだ。
「ぐぅっ……!!
は、離……せ、化け物……!」
「止めておけと言ったはずだ」
片手で軽々と、足がぶらぶらと宙に浮くほど持ち上げると、やにわに地面に引き倒して身体の上に膝を乗り上げる。
月光色の銀髪が村人の鼻先に滴り、ピサロは村人の身体を引きずり起こして耳元に顔を突きつけ、奇妙に静かな声で囁いた。
「人間よ、貴様の言う化け物の言葉をよく覚えておくがいい。
貴様に罪はない。だが、わたしに遭ったのが貴様の不運だった。
わたしの名は、魔族の王デスピサロ。
いいか、わたしの名前を決して忘れるな。
黄泉にて永劫わたしを恨め。
貴様の恨みの業、このわたしが引き受ける。
この村に生きた全ての者の恨みと憎しみ、地獄の果てまでこの身が背負ってやる」
ピサロの紫の瞳に大いなる虚空が広がり、妖魔の放つ閃光が火花となってひらめく。
死の呪文が時空をねじり歪め、村人の瞳が見開かれると、やがて力を失って首ががくりと後ろへ倒れた。
ピサロは息の絶えた人間の目を指で閉じさせ、立ち上がった。
火の海が辺りを紅蓮に染め、灼熱のすさまじさに手足が焼け焦げそうに痺れる。
テンクウノ ユウシャヲ コロセ
メザワリナ ユウシャヲ コロシテシマエ
魔物が狂ったように繰り返す叫びは、人間たちの死出の旅に具するめくるめく協奏。
いずこに巧妙に隠れたか、まだ天空の勇者は見当たらぬ。
この奇襲の最大の目的である勇者の少年の息の根を止めさえすれば、あとは烏合の衆。この炎も、さっさと消し止めて構わないだろう。
ふたたび歩きだそうとしたその瞬間、不意にピサロは割れそうなほどの激しい頭痛に襲われ、身を折ってその場にうずくまった。
「……ぅ……!」