雪花
「も……、申し訳ございません!」
緑金色の甲冑の騎士は焦り、床へこすりつかんばかりに頭を垂れた。
「またしても身の程もわきまえず、分不相応な差し出口を申しました。
ピサロ様にもお叱りを受けましたが、わたしは時折、愚にもつかぬ無礼を働いてしまい……」
「それは、あなたがものごとの真実を見定める瞳を持っているからだわ、騎士様。
刹那の時を共にするだけのわたしとピサロ様の間には、心の真実を解き放つまことの言葉が、まだ……ないの」
ロザリーの白い頬を、涙がつうとすべり落ちた。
紅い彩光を宿した小さな宝珠ルビーの粒は、床に落ちる前に音もなく砕けて消えた。
「騎士様。……わたし、怖いの」
「ロザリー様……?」
ロザリーはそっと、自分の体を両腕でかき抱いた。
「わたしは、寂しい。
寂しくて、寂しくて、体がちぎれてしまいそうに寂しくてたまらない。
ピサロ様をお待ちする間、いつも笑顔を絶やさずにいたいのに、夜が来るたびぽっかりと口を開ける、底なしの落とし穴のような寂しさに飲まれてしまうのが怖い。
そして、その寂しさに惹かれるようにここへやって来る、ピサロ様もきっと心に大きな空洞を抱えている。
わたしたちは、互いの寂しさを埋めるため共にいようとしているのかもしれない。
だとしたらわたしにはいつか、あのお方を引きとめることは出来なくなってしまうわ」
「なぜ、そのようなことをおっしゃられるのです。
引きとめる……、とは、どういうことでしょうか」
ピサロナイトは困惑しながら、慎重に言葉を選んで言った。
「ロザリー様がご心配なさらずとも、ピサロ様は、貴女様以外のお方に心をお傾けになることなどございません」
「そうじゃないの。ああ……なんて言ったらいいのかしら。わからない」
ロザリーはもどかしげに身をよじった。
「魔族の王である限り、あのお方の心の空洞は、埋めようともがけばもがくほど大きくなってしまう。
このままではあのお方はいつかきっと、わたしの手の届かないところへ行っておしまいになる。
あのお方も、それに気付いている。わたしたちにはもう、時間がないの」
(ロザリー、わたしはいつか、本当に何もかもを忘れてしまうような気がする)
(魔族の王という、空っぽで棘だらけの器に身も心も絡め捕られて、己れ自身をばりばりと喰い尽くされてしまう気がするのだ)
(神様)
(神様、どうして貴方はあのようにお優しいお方を、魔族の王にお選びになってしまったのですか)
(お願いです。どうか、ピサロ様を助けて)
(ピサロ様を、闇の落とし穴から救って)
(わたしには出来ない。籠の中の鳥として生きることしか出来ない、わたしには……)
両手に顔を埋めて嗚咽するロザリーを、緑金色の甲冑の騎士はひどく動転して見つめていた。
「な、泣かないで……下さい。
わたしが、無神経な言葉をお掛けしてしまったせいです。まことに申し訳ございません。ロザリー様」
だが、ロザリーは首を振って静かに泣き続けた。
白い頬をあとからあとから滑る涙が、硝子のように空中でもろく砕け散るのを見ていると、彼女そのものもこのまま涙と共に、粉々に砕けて消えてしまうような不安がこみ上げた。
「ロザリー様、泣かないで」
緑金色の甲冑の騎士は悲痛な声を上げると、分厚い小手で覆われた、生の温かい感触に触れられない指を恐る恐る伸ばした。
自分が何をしようとしているのかすら解らないまま、震える指はロザリーの細い肩先へ近付いていく。
「お願いします。もうお泣きになられないで下さい。
貴女様がお泣きになると、ピサロ様は……、いえ、わ、わたしは……」
「ロザリー」
その瞬間、影の騎士の手が空中でびくっと震え、素早く背中の後ろへと隠された。
「……ピサロ様」
ロザリーが涙で濡れた顔を上げた。
闇に、人影が立っている。
あやかしの笛の音色で開かれたからくり仕掛けの階段の、燭台の灯らぬ塗り込められた暗闇の上に、ピサロが凝然と立っている。
ロザリーと緑金色の甲冑の騎士は、思わず体を硬直させて息を飲んだ。
凄まじい血の匂い。
むっと立ち込める真新しく濃い血の匂いに、喉が狭まって激しくむせそうになる。
魔族の王ピサロが、まるで凄絶な虐殺を終えて来たばかりの幽鬼のように、全身を深紅の鮮血に染めてそこに立っていた。