雪花
「御命、了解致しました」
魔族の王でありながら心根に情愛を隠し持ち、よほどの理由がない限り異種族の殺生を命じようとはしないデスピサロが、このように即断するのは珍しい。
エビルプリーストは嬉々として敬礼した。
「魔族全軍を、今すぐ山奥の村へ。
天空の勇者の少年と、それにかかわるもの全てを木端微塵に滅ぼしてお見せします」
「待て!」
想念の球体を見つめていた、デスピサロの声音の響きが不意に変わった。
「これは……」
球体の中心に映っている、花畑にうずもれた天空の勇者の少年が起き上がり、きょろきょろとあたりを見回す。
誰かがやって来るのを、待っているのだろうか。
もどかしげな顔で辺りを見回すと、目的のなにかを瞳にとらえたらしく、さっと表情を明るくした。
まるで迷子の子供がようやく母親を見つけ出したかのように、憂いに満ちていた翡翠色の目が、みるみる輝きを取り戻す。
それを隠すように、少年の表情はさっきにも増してむっつりとしかめられ、視線は急いであさっての方向へと逸らされた。
大きく手を振り、野兎のように跳びはねながら少年へ走り寄って来た人影に、ピサロは思わず唇を開いた。
エルフだ。
ロザリーによく似たエルフの少女。
白樺の枝のように華奢な手足も、うっとりと夢見るような紅い瞳も、ひどくよく似ている。
「ふん、エルフか」
エビルプリーストはせせら笑った。
「大地の守り人とは名ばかりの、うつくしいだけが取り柄のか弱き精霊族。
そういえば、先程巡視した時も、このエルフの娘はやたらと天空の勇者の小僧のそばにべたべたとまとわりついていました。
あの臆病なエルフが欲深い人間と共に住んでいるなど、さすが半人半妖の勇者を隠す村だけあって、全く酔狂な場所ですな」
「……」
「デスピサロ様?」
だがピサロは呼ばれたことにも気付かず、食い入るような目で球体に映る勇者の少年と、傍らに寄り添うエルフの少女を見つめていた。
「デスピサロ様、いかがなさいました」
あるじの様子が明らかに先ほどと変わったことに気づき、エビルプリーストは苛々と声を荒げた。
「まさかまたお得意の、獅子は自由に歌う鳥や花を愛でる蝶に、無礼だといちいち難癖はつけぬ、ではありますまいな。
土の上をちょろちょろと跳ねては風と鳥の歌を歌うエルフなど、ただの邪魔者でしかない。勇者もろともひと思いに殺すに限る。
よろしいですか、デスピサロ様。貴方様はたった今、天空の勇者とその関わるもの全てを殺せとおっしゃいました。
勇者を殺さねば、地獄の帝王は滅びる。
我々が積年練り上げて来た人間殲滅の計画が、水泡に帰してしまうのですぞ!」
「……わたしは、待て、と言っただけだ」
他の誰にも理解し得ぬどのような葛藤が、氷の鎧をまとう孤高の王の心中で湧きおこったのか。
ピサロの声は先程までとは違い、明らかにこわばっていた。
「わたしに、同じことを二度言わせるな」
「待って、何が起こるというのです。今すぐ殺せとおっしゃった先程のお言葉を、まさか取り消すとでも?
勇者は邪魔だが、その侍らせるエルフの娘が愛らしく清らかだから、まさかお優しい貴方様は、殺すのが急にしのびなくなった、とでも?」
「黙れ……」
ピサロの頬がわずかに歪み、額に汗が滲み始めた。
(この、馬鹿者が。清き精霊などにほだされおって。
ここに来てまたしても、下らぬ情を出しおったか)
エビルプリーストは苛立たしげに首を振り、聞こえよがしにちっと舌打ちした。
「さあ、なにをしているのです。王。
早くお命じ下さい、先程のように。
この無垢なエルフの娘の首を、今すぐひと思いにかき切って来い、と。
天空の勇者もろとも、なにもかも全て殺せと」