雪花



(邪悪な魔族の王デスピサロではなく、この世界に生を受けたただひとつの存在として、ロザリー様をお愛しになられたら)


影の騎士は一息に言って、苦しげに口をつぐんだ。

押し黙ったピサロの顔は血の気を失い、仮面のように何の表情も浮かべていなかった。

だが、やがて紫色のふたつの瞳の奥に、徐々に異様な光が滲み始めた。

ピサロナイトは、はっと息を飲んで硬直した。

沈黙がじわじわと裂け、空気が黒く塗りこめられて振動する。

緑金色の甲冑の騎士の前で、若き孤高の王の紫色の瞳が、内側と外側でせめぎ合うような狂おしいざわめきに飲み込まれて行く。

目の前のデスピサロの眼光から、怒りとも、悲しみとも、苦しみとも憎しみともつかぬ、バランスの崩れかけたなにかが立ち昇り、

まるでしなやかな彼の体を喰い破って、得体のしれない別の生き物が姿を現すかのようで、ピサロナイトは激しい恐慌に襲われ、とっさに床に頭をこすりつけた。

「ご、ご無礼を……、

ご無礼を失礼致しました、王……!!」

「感情と理論の区別がつかぬ貴様は、芯からの愚か者だ」

ピサロは異様な光を湛えた瞳をゆるやかに細め、氷柱のように怜悧な声で告げた。

低く、虚無に満ちた声音はいんいんと響き、あまねく魔族の頂点に立つ君主の呟きは、雪に閉ざされた闇の向こうまで届くかと思われた。

「主君への身の程知らずな嘲弄、殺して非礼を詫びさせるは容易いが、ロザリーの暮らすこの塔の床を、貴様の血などで汚したくはない」

「この命を差し出せというなら、今すぐ携えた剣で喉を貫き、貴方様への非礼を死を以ってあがないましょう」

緑金色の甲冑をまとった騎士は、平伏した姿のまま叫んだ。

「ですが、わたしはまだ死ぬわけには参りません。

わたしには貴方様に成り代わってロザリー様をお護りするという、命より重大な責務があります」

「都合のよい責任感をここぞと持ちだし、わたしの弱みでも握ったつもりか」

「違います。わたしは、ピサロナイトの名を与えられし者。

わたしは貴方様の影。

影は実体の対となって在るもの。

実体にあって表裏一体、同じ心を象るもの。

わたしが先程申し上げた言葉は、ただの狂った世迷言では決してありません。

魔族の王という、高く閉ざされた玉座のかたすみに貴方様が巧妙に隠した、まごうことなき心の真実」

「この上重ねて非礼を働くその勇気、もはや賞賛に値するな」

ピサロの紫色の双眸から、かぎろいのような狂おしい光がふっと消えた。

闇と月の化身のような、冷たくうつくしい魔族の王は、もとの沈着さを取り戻して薄くほほ笑みさえした。

「わたしにそのような口を聞いたのは、後にも先にもお前ひとりきりだ、影の騎士よ。

だがわたしは、王と即位して以来、こびへつらった阿諛(あゆ)追従ではないまことの諫言というものに、今初めて触れたような気がする。

貴様はわたしに、耳触りの良からぬ心の真実とやらを投げ渡した。

ならばわたしも、真実には真実を返そう」

「……は……」

「驚かずに聞け」

銀髪の美貌の魔族の青年は、再び冷酷無比な魔王デスピサロと変貌し、内側に底なしの闇をひそめた眼光を緑金色の甲冑の騎士へと放った。

「参謀エビルプリースト、きゃつには叛心がある。いずれ遠くないうちに必ず尻尾を出すだろう。

反逆完遂への王手の駒を見つけるため、今頃餓えたネズミのように、わたしの身辺をこそこそと嗅ぎまわっているはずだ。

影の騎士よ、頼む。ロザリーを護ってくれ。

貴様に、これを渡しておく」

ピサロが黒衣の懐に手を差し入れ、取り出したものを見ると、ピサロナイトの重々しい兜の面頬が驚きに震えた。

「……これは」

「静寂の玉、という。

古代より伝わる、魔道干渉の宝玉だ。黒、白、一切の魔力をことごとく封印する力がある。

もしもこの塔へ踏み込もうとする侵入者があらば、これを使え」

「わ……、わたしごときに、このような希有な逸品を」

「ごときとは、侮られたものだな。お前は先程、影と実体は対になり同じ心を象ると言った。

ならばお前が己れを卑下することは、実体たるこのわたしを貶めることにもなるのではないか」

緑金色の甲冑の騎士は、慌てたように首を振った。

「い、いえ。決してそのような意味では……」

「すまない」

ピサロは目を伏せ、甲冑の男に向かって頭を下げた。

「王!なにをなさいます」

「ロザリーのことは、お前しか頼める者がいないのだ」

ピサロは言った。

「他の臣の誰ひとりも、……信用出来ぬ。

お前の言った通り、わたしは悪にも、さりとて善にもなりきれぬ、無能な偽りの王なのかもしれぬな」

影の騎士が動転して言葉を継ごうとする前に、ピサロは顔を上げ、絞るような声でもう一度繰り返した。



「頼む、影の騎士。


ロザリーを、護ってくれ」
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