雪花
「風と鳥の歌を歌い、花の香りをいとしむ無垢な精霊エルフに四六時中付き従って毒されたか。
殺すな、ということは、邪悪を是とする我ら魔族にとって、存在するなというのと同じだ」
心より敬愛し、また畏怖する絶対的主君の王が、紫色の瞳を閃かせて鋭く切り返す。
ピサロナイトの名を冠する緑金色の甲冑の騎士は、うなだれた。
「……解らなく、なるのです。
ロザリー様と共にいると、なにが正しく、なにが誤りなのか」
分厚い兜の面頬に隠された顔は、おそらく苦衷に歪んでいるのに違いなかった。
「我々魔族は、そも、なぜ悪しきを貴しとし、闇を棲みかと生きねばならぬのでしょうか。
魔族はなぜまがまがしい邪神を崇め、殺戮を快しと思わねばならぬのでしょうか。
命に全て同じ価値があるとは思いません。人間には、生きる価値すらない腐った外道が多くいる。
ですがロザリー様は、あれほどお辛い目に遭っていながらなお、皆が共に手を取りあって生きる世界が訪れることを望んでおられます。
人間も、エルフも、魔族も、分け隔てなく共に生きることの出来る未来を、心から」
ピサロは苛立たしげに舌打ちした。
「影の騎士ともあろう者が、下らぬ世迷言を。
誰も入れぬ狭苦しい塔に、昼夜こもりきりで過ごしているせいか。貴様はどうやら頭がおかしくなったようだ」
「その狭苦しい塔に、愛する者を籠の中の鳥のように閉じ込めて、安らぎと慰めという都合のいい部分だけを引きだしているのは貴方様です。
精霊エルフに毒されたかと言われれば、確かにそうかもしれません。
わたしは魔族が進もうとしている道に、疑問を抱き始めている。
ですが……、ですが、王」
ピサロナイトは意を決したように言った。
「貴方様も、もしかしたらそうなのではありませんか。
貴方様も心の奥底では、エルフの清き想いに寄り添いたいと思っているのではありませんか。
本当は貴方様も、精霊のけがれなき心こそ、この世界をひとつに結ぶのだと気付いているのではありませんか。
だからロザリー様をあれほど愛し、このような場所に隠し置いてまで、どうしても手放すことが出来ないのではありませんか」
「黙れ!」
ピサロの眼がかっと見開かれた。
緑金色の甲冑の騎士は鋭い呻き声を上げ、その場にくずれ落ちた。
重厚な鎧の継ぎ目から、黒煙がぶすぶすと上がる。
皮膚の焦げる嫌な匂いが辺りに立ち込めたが、すぐ傍で眠るロザリーを慮り、ピサロナイトはそれ以上声を立てず黙って痛みに耐えた。
「……ご無礼、お許しください」
「影の騎士よ。貴様の口にする言葉は、魔族の絶対なる禁忌に触れる。
暴虐を厭い、殺戮をためらう魔族など、それはもう魔族ではない」
「良いではありませんか、それでも」
感情の高ぶりに耐えきれなくなったのか、ピサロナイトは思わず声を上ずらせた。
「魔族、魔族、魔族。
そんなつまらない呼称に、一体何の意味があるというのですか?
誰かを自分以上に愛するという想いに、魔族も、エルフも、人間も天空びとも、おそらく何の違いもない。
闇に咲く一輪の花のようなロザリー様を、これほどいとしく想われる貴方様は、死を喰らって生きる魔物でも、邪悪に身を浸すあやかしでもありません。
あなたは善でも、悪でもない。
ただ、ひとつきりのそこにある輝ける命だ。
邪悪な魔族の王デスピサロではなく、この世界に生を受けたただひとつの存在として、ロザリー様をまっすぐにお愛しになられたら」