ドラクエ字書きさんに100のお題



44・指先が触れ合う


「クリフト」

少女は言った。

「ちょうだい」

差しのべられた手は、色づく前の紅葉のように小さい。

まだ声変わりもしていない蒼い瞳のほっそりした少年は、どきまぎしながらその手に温かい芋を乗せた。

「はい、どうぞ」

指先が触れ合う。

「ありがとう」

ふかしただけの芋の根。礼拝時に教会から民へ配られる振る舞い食は質素だ。

だが筋ばかりで硬くて、ろくに食べれたものではないそれを、彼女はとても嬉しそうにかじる。

石壁の向こうの豪奢な宮殿では、さぞ贅を尽くした食事を取っているだろうに、物珍しいからおいしく感じるのだろうか。

聖サントハイム王国の世継ぎの王女、アリーナ姫がなぜ七日に一度の礼拝のたびにこの城下教会へやってくるのか、少年クリフトは不思議で仕方なかった。

4歳を迎えた彼女が世話役の魔法使い、老ブライに連れられて初めてここにやって来てから、もう一年になる。

はちみつ色の瞳を輝かせているあどけない少女をひとめ見たとたん、頭をがつんと殴られたような衝撃を受け、それ以来寝ても覚めても彼女の姿ばかりがちらつくから、最初はおかしな病気にでもかかったのかと思った。

だが、10歳になったクリフトはようやくわかりかけて来た。

これは、恋だ。

自分は人を好きになってしまったのだ……、と。

それにしたって、まだ5歳の女の子に恋だなんて、いくらなんでも対象が幼すぎやしないか。

しかも相手は王女様だぞ……と、生真面目な少年は答えの出ない片思いの悩みの海へ足を突っ込み始めたのだったが、アリーナ姫は相変わらず七日に一度、礼拝のたびに教会へやって来る。

ブライに連れられて来ることもあるし、お付きの侍女カーラに連れられて来ることもある。

最近はひとりで来ることもあって、どう考えても黙って城を抜け出したようにしか思えないのだが、どんな事情であれ彼女に会えるのは天にも昇りそうなほど嬉しいので、悪いことだとわかっていながらも、クリフトにはそれを咎めることはできないのだった。

「硬いけど、おいしい」

小さなアリーナ姫は細長い芋の根に懸命に噛みつきながら、クリフトを見上げた。

「噛めば噛むほどおいしい味がするね」

「ムラサキイモはとても滋養のある食物です。根だけではなく、茎も葉も食べられるのですよ」

「茎?茎も食べられるの?」

「はい。繊維が多いので、独特の食感があっておいしいんです」

「へえー。食べてみたいな」

「では次の礼拝の時にでも、準備しておきましょうか」

「ありがと!うわあ、楽しみ」

「……あのう、姫様」

クリフトは思いきって聞いてみた。

「姫様はなぜ、しょっちゅうここへいらっしゃるのです?」

その瞬間、アリーナの顔がぴくりとこわばったので、クリフトはあわてて叫んだ。

「いえ、違うんです。ぼくは姫様にお会いできて、とても嬉しいんですよ。

本当は毎日でも来てほしいくらい……あわわ、そうじゃなくてその……わ、わからないのです。アリーナ様がなぜここにいらして下さるのか。

お祈りなら、お城の祈祷室でも出来ますし、この教会は古くて隙間風が多い。長居するとお風邪を引いてしまいます。

それに……こんな貧しい食事は、正直姫様のお口には合わないのではありませんか」

「おいしいって言ってるじゃない」

アリーナは芋の根をくわえたままクリフトを睨んだ。

「このお芋はとてもおいしいわ」

「そ、そうですか」

「それに、ここに来ればお前と一緒に食べられるもの。お城でひとりきりで食べるごはんより、ずうっとおいしい。

ここには誰もカンシヤクがいないから、フォークやナイフをじょうずに使わなくてもいいし、食べる順番を間違えておっかない顔で怒られることもないわ」

「カンシヤク……アリーナ様には、監視役がいるのですか?」

「うん。たくさんね」

アリーナは丸い頬をふくらませ、深々とため息をついた。

「テーブルにひとりっきりで座るわたしの後ろに、礼儀作法の先生がたくさん立って、食べるわたしのことをじっと見ているの。

王女がごはんを綺麗に食べられないと、タコクニカオムケデキヌ、ユユシキオウケノハジなんだって。どういう意味かなあ」

クリフトは胸をつかれて黙り込んだ。

不用意に尋ねたことを強烈に後悔したが、今さらもう遅かった。なんて馬鹿なんだろう。自分は全然わかっていなかった。

この小さな女の子の双肩に、生まれながらにしてどれほど重い枷が載せられているのか。

七日に一度のたった数時間だけ、彼女はそれをはずすためここにやって来るのだ。

豪華な宮殿で食べるごちそうより、古びた教会でかじる芋の根の方がずっとおいしい。

まだ5歳の少女にそう言わしめてしまう暮らしが、あの石の壁の向こうの黄金の城では当たり前のように行われている。

「アリーナ様」

クリフトは意を決して言った。

「ぼく、ブライ様にお願いしてみようと思います」

「え?」

クリフトはほほえんで、アリーナにあたたかい芋の根をもうひとつ手渡した。

また、指先が触れ合う。アリーナはきょとんとしてクリフトを見た。

「なにを?」

「ブライ様の代わりに、ぼくが姫様のお世話係を務めさせて頂けないかと。

これでも、神学校での成績は毎回首席です。ぼくならアリーナ様に聖書の読解もお教え出来るし、必要とあらば白魔法の手ほどきだって出来ます。

それに、一緒にごはんを食べることも」

「本当?!」

アリーナは顔を真っ赤にして叫んだ。

「本当に、わたしといっしょにごはんを食べてくれるの?

礼拝の時以外も、いっしょにいてくれるの?いつも?」

「もちろん、ぼくにも修行や勉強がありますから、始終というわけにはいかないでしょうが……それに、ブライ様のお許しが出たらですよ」

「許すに決まってるわ!だってわたし、がんばってるもの。礼儀作法のおべんきょうも、歴史や語学のおべんきょうも。

クリフトがそばにいてくれるなら、もっとがんばれる!」

アリーナは嬉しさを抑えきれないように、クリフトの見習い修道士の服の裾をわし掴んだ。

「おねがい。お前だけはわたしとずうっといっしょにいて。どこにも行かないで。

いいわね、クリフト。約束よ」


あ、さだめられた


その時、そう思った。

誰もが持っている、己れの運命という題名の長い絵巻物。その瞬間、服の裾と一緒にその結末の部分を、彼女にぎゅっと握りしめられたような気がしたのだ。

ぼくはこのお姫様とずっと一緒にいるよう、今この瞬間にさだめられた。

人の運命なんてまったく予測がつかないようでいて、じつはその大半を、生まれてすぐの幼いうちに自らの選択で決めてしまっているのかもしれない。

「クリフト」

アリーナ姫はふたたび手を伸ばした。

「ちょうだい」

「はい、どうぞ」

クリフトは小さな手のひらに、あたたかい芋の根をまた乗せた。

アリーナは滋養を噛みしめるように、ひどく大事そうにそれを口に運ぶ。

こうしてこれからぼくは、彼女にいつも与え続けてゆくことになるのだろう。

それはこんなふうに食べ物であったり、癒しの魔法であったり。または励ましの言葉であったり、夢への後押しであったり、時には厳しい叱りの一手だったり。

なんの見返りも感謝も期待せず、ただ一方通行に与え続けてゆくもの。そうするだけで心がみずみずしい喜びであふれる。

一見理不尽で、言葉でうまく説明できないそのひたむきな想いを、神は愛とお名付けになった。

ぼくはまだ10歳だけれど、手渡すたびに触れ合う彼女の小さな指先から、この世で一番大切なものはいつもそこにあると知ったんだ。




―FIN―



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