ドラクエ字書きさんに100のお題



41・急に楽しくなって来た


鼓動がどくん、どくんと脈打つ音が、えらく大きく響いた。あまりに大きくて、周囲の音が聞こえないくらいだ。

ああ、静まれ。静まれったら。

どうしてこれほどうるさいんだ。心臓とは、こんなにも耳の近くにあったのだろうか?

クリフトは唇を噛んだ。身につけた萌黄色の法衣はしわひとつなく、ひさしのついた長い神官帽も凛と空を向いている。

首に巻いた橙色のストールは、心地良さげに風にたなびいている。背中にしょった細身の長剣。正直、決して剣技は得意ではないが、それでも護身術なら基礎から学んでいる。そんじょそこらの魔物におくれを取るつもりはない。

腰のベルトに巻きつけた道具袋には、薬草や毒消し草、携帯用の乾燥食料が詰め込まれていた。紐で吊るした、竹を切って作った水筒。路銀も少しだが持って来た。

旅の準備は万端。全部、昨夜のうちに整えておいたものだ。

昨日、お目にかかったとたんに確信した。聖職者の第六感か、それとも恋する者の直感か。理由はよくわからない。

だが、あのお方のなにかを硬く決意したような鳶色の瞳を見たとたん、理解したのだ。

行く気だ、と。

サントハイムの誇るおてんば姫、アリーナ王女。幼い頃から彼女が口癖のように言い続けて来た言葉。

「わたし、腕だめしの旅に出たいの。狭いお城を飛び出して世界じゅうを巡って、自分の力を確かめたいのよ」

翼の生えた太陽の化身のような彼女が、夢をただの夢で終わらせるわけがない。彼女が口にした願いは必ずや実行される。

誰よりもそれを知っているからこそ、クリフトも瞬時に覚悟を決めたのだ。教会に戻ると迅速に支度をすませ、朝一番に王城へやって来た。

正門を通らずに裏口へ回るクリフトを、護衛番は不思議そうな顔で見たが、王国一の白魔法使いの名も高い優秀な神官が、今さら咎めだてされるはずもなかった。

クリフトは王城の裏の庭園にひとり立っていた。

ここで待っていれば、彼女は来る。

いや、降りて来る、と言ったほうが正しいのかもしれない。

どくん、どくんと脈打つ心臓の音は、今や耳から飛び出して来そうなほど激しく鳴り響いていた。緊張のあまり、喉がからからに乾いている。

夢をかなえるため旅立つアリーナ姫は、のこのこついて来ようとするわたしをどのようにお思いになるだろうか。

邪魔者、お節介。多分そうだろう。帰りなさい、ついて来ないで!と厳しく叱責されるかもしれない。

それでもクリフトに一歩も引く気はなかった。邪悪なる気配の目覚めた世界は、今や凶悪な魔物がそこらじゅうに跋扈(ばっこ)している。なんとしてもお傍に仕えさせて頂き、このわたしが姫様をお守りするのだ。

姫様を絶対におひとりになどしない。どんなに疎まれ、憎まれたとしても。

ああ、それにしても心臓の音よ、静まれ……。

「クリフト?!」

目を閉じて呼吸を整えようとしたわずかな間に、彼女は音もなくそこに降り立っていた。

クリフトが顔を上げると、真正面に唖然とした表情の彼女が、もういた。上空からぱらぱらと、崩れた石壁の破片が降って来る。

彼女の髪にも頬にも、細かい小石の粒が数えきれないほどくっついている。それは真新しい朝日に照らされて、一粒一粒白金色にきらきらと輝いていた。

そう、まるでエネルギーの強すぎる流れ星が、勢いあまって空から落っこちてきたように。

その様子を見ていると、不思議とクリフトの心から怖れと不安がうそのように消えていった。代わりに、期待と希望が身体じゅうの隅々まで満ちた。

健やかでのびやかな生命力にあふれた彼女を見たとたん、これから起きるであろうすべてのことが、急に楽しくなって来たのだ。

このお方はきっと夢をかなえるだろう。それを見届けたい。誰よりもそばで。そのためならなにがあっても構わない。

クリフトは頬を赤らめた。あれほどうるさかった心臓の音もいつのまにか聞こえなくなっている。さっきまでの緊張はどこへやら、わたしはじつに調子のいい人間だ。

アリーナは目を丸くしたままクリフトを見つめている。クリフトはその目をまっすぐに見つめ返した。もう、彼女からどんな返答がかえって来ても平気だった。

だってわたしは姫様をひとりになど、決してしないのだから。たとえどんなに疎まれても、憎まれたとしても。

(あなたのそばから、離れない)

クリフトは蒼い瞳をほほえませ、高らかに叫んだ。

「及ばずながら、わたしも姫様の旅のお供を致します。

さあ、参りましょうか!」



―FIN―


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