ドラクエ字書きさんに100のお題


34・コマンダー


commander(音節com・mand・er 発音記号/kəmˈændɚ|‐mάːndə/)

【名詞】【可算名詞】意味=指揮者・司令官

「勇者様。先程の命令の意図は何です?

この期に及んでどうして呪文を節約なのか、わかりませんね」

愛用の聖杖を背中にかかえた鞘に戻しながら、日頃温厚なクリフトは珍しく声を荒げた。

「ダンジョンの出口はもう間もなくです。ふもとに街があるのもわかっている。

今は魔法を駆使して敵を倒し、この場を確実に乗り切ることが大切なのではありませんか。

おかげでさっきの戦いは、薄氷の勝利でした」

「うるさい」

背中にもやのような苛立ちを滲ませて、天空の勇者の少年はにべもなく言い捨てた。

「戦いの作戦を立てるのは勇者である俺の役目だ、と言ったのはお前らだ。

だったら黙って指示に従え」

「ですが、あまりに明らかな失策には仲間として意見もあろうというもの」

「どうして失策だ。ちゃんと勝った。誰ひとり大きな怪我は負ってない。

この作戦のどこが失策なのか言ってみろ」

勇者の少年は美貌を歪め、せせら笑った。

「それとも、俺が代わりに言ってやろうか。

呪文を節約すれば、このわたしの見せ場がなくなってしまいます。いとしい姫には圧倒的に攻撃力で負けている。装備できる剣もそう多くない。

この作戦では、魔法頼みのわたしの立つ瀬がありません……ってところかよ」

クリフトは顔をこわばらせた。

「命を懸けた戦いの場に、誰がそのような私情を持ち込みましょうか」

「だったら大人しく言うことを聞いてろ」

「勇者様!」

クリフトは勇者の少年の肩を掴んだ。少年は舌打ちしてその手を振り払おうとした。

が、引き締まった肩先はそれ以上動かず、クリフトの広いてのひらを乗せて力無く垂れただけだった。

「どこが、誰ひとり大きな怪我は負ってない、ですか。わたしが気づいていないとでも?」

「……」

「呪文を節約して、わたしに貴方への回復魔法を使わせまいとするのはなぜですか。

いえ、もっと言えば、戦いのたびに怪我を隠そうとするのはどうしてです?そのくせご自分の魔法で回復を施すこともしない。

あなたは自らを癒さない。傷だらけのまま戦い続けた体は、最後にどうなると思いますか。壊れるんです」

クリフトは勇者の少年の緑の瞳を射抜くように見据えた。

「死に急ぎたがりの悲劇の主人公を気取るのは、いい加減おやめなさい。貴方が後を追いかけたところで、故郷の家族も恋人も誰ひとり喜びはしない。

それでもどうしても死にたいというのなら、節約ではなく、こうお命じ下さい。呪文を使うな、と。

わたしは喜んで、この身にたたえた癒しの魔法を封じましょう。孤独に震える貴方の死出の旅の道連れとなりましょう。そうまでして試さなくてもいい。わたしたちは仲間です。

誰も貴方だけに責任を負わせない。誰も貴方の犠牲にならない。誰も貴方を置いて行ったりしない。

誰も貴方を、ひとりにはしない」

勇者の少年は苦しげに顔をそむけた。肩に乗ったクリフトの手のひらの下で、衣にじわじわと血の染みの波紋が広がってゆく。

「勇者様、貴方は導かれし我れらの唯一無二の指揮官(コマンダー)。

もう一度お尋ねします。魔法を使っても?」

クリフトが穏やかに尋ねた。

「貴方の傷を癒す栄誉を、どうぞわたしに」

「……勝手にしろ」

クリフトはほほえみ、唇をかすかに動かして、誰にも聞こえないほど小さな声で詠唱をとなえた。

手のひらを乗せた勇者の少年の肩がほの明るい金橙色に光り、輝きが失せるとともに血の染みも霧のように消える。

少年は今度こそクリフトの手を乱暴に振り払うと、物も言わずに踵を返してその場を去ってしまった。

「いくらなんでも、あいつのあの態度はないわ」

事の顛末(てんまつ)を固唾を飲んで見守っていた仲間たちの中から、アリーナがクリフトに駆け寄って来た。

「大切な人たちを突然失ってしまったのは、わたしたちだって同じなのよ」

「しかし、わたしたちにはまだ希望が残されています。彼らが戻って来るかもしれないという希望が。

ですが、あの方にはそれがない。焼け焦げた故郷の大地の上で、ついさっきまで笑っていたのに、もう動かなくなったなきがらをいくつも抱きしめた。

それも、たったひとりで」

アリーナは黙ってうつむいた。クリフトはそっとその横に寄り添った。

「死の誘いは人の子を、時に生きたいという希望よりも強く引き寄せます。その手に何も握るものがないと思う者ほど、より強く。

今わたしたちに出来るのは、堅く閉ざして血を流し続けるあのお方の握りこぶしを、無理矢理こちら側へ引っ張っておくことだけ。

厳しい戦いの連続の日々のなかで、生きる希望を見いだすのはとても難しい。わたしたちはまだはたちにも満たぬうら若い少年に、どれほど残酷な運命を強いていることか。

それでもわたしは、あの方の手を決して離さない。振りほどかれても振りほどかれても、また掴みます。

あの方が死へ吸い寄せられ過ぎないように。そして、その握りこぶしがいつか開くように。

自分は決してひとりきりではないのだと、いつか気づいてもらえるように」

「だったら、もっと優しいやりかたのほうがよかったんじゃないかしら」

「あの方は優しく諭されるよりも、叱られるほうが効くのですよ。怒りをエネルギーに変えることの出来るお方ですから」

「よくわかってるのね、あいつの気性」

だってわたしはあのお方を旅の仲間である以上に、大切な友人だと思っていますから。

声に出さずに言うと、クリフトは「さあ、出発の準備をしましょうか。出口はもうすぐですよ」とアリーナを促した。

薄闇に塗られた視界の前方に、細く白い光がちらついた。本当だ。出口が近づいているのだ。

そしてその光に透かされて、前に向かってひとり歩いて行く勇者の少年が見えた。

光の一点を無表情に見つめ、たったひとりで歩くその姿は、たとえようもないほどの濃い孤独にふちどられていた。彼はまだ、気づいていない。自分は決してひとりではないのだと。

それにはきっと、もっと時間がかかるだろう。周りがいかにそう訴えたとて、意味はない。彼自身が気づき、受け入れなくてはならないのだ。差しのべられている手を。

握り返すのは他の誰でもない、自分だということを。

それまで彼は、絶望の中でもがく勇者。剣しか握ることのない指揮官。生きる希望を失った、世界を救うコマンダー。



―FIN―


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