ドラクエ字書きさんに100のお題



22・呼んでみただけ


「ねえ、クリフト」

「はい、姫様」

「えへへー、なんでもない。呼んでみただけ」

近頃、姫様はこんな他愛ない所作をよくお繰り返しになる。

わたしもその都度、飽きもせず答える。「クリフト」「はい」「クリフト」「はい」呼ばれることの喜びを知っている。

名前を呼ばれ、返事をすること。ひとりじゃ決して出来ないこと。シンプルかつ明快な行為の裏側に、誰かと共にいられる安堵が満ちる。もしもひとりでやっていたとしたら、わたしは完全に危険人物だ。

それにしても、とくにそれ以上の会話が膨らむわけでもないのに、どうして姫様はわたしが返事をするだけで、あんなに嬉しそうな顔をするのだろう?

名前を呼んで、相手に答えてもらう。もしかしたらそこには、なにか人を喜ばせる重要なエッセンスが隠されているのかもしれない。それを知りたい。そう思ってしまったわたしを、どうか責めないでほしい。

人は考える葦なのだと、古代西方のとある哲学者も言っていたではないか。そこに疑問があれば、答えが欲しくなるものなのだ。人間の至極当然の欲求だ。

だから、だから姫様。先に心からお詫び申し上げておきます。このような不敬を働くわたしを嗚呼、どうかお許し下さい。

わたしはただ、知りたかっただけなのです。つまり……自分も、言ってみたかったのです。「呼んでみただけ」と。

「ア、ア、アリーナ様」

「なあに?」

くるりと振り返った姫様の、こぼれ落ちそうな大きな瞳に直視されて、わたしはぐっと息詰まった。

ほら、なにしてる、クリフト。言え。言うんだ!

いつもの姫様のようにちょっと肩をすくめて、照れくさそうにはにかみながら、「へへへ、なんでもありません。呼んでみただけ」

だが、待て。天使のように愛らしい姫様はともかく、わたしははたちをとうに過ぎた大の男だぞ。手も足も、背中だって姫様よりこんなに大きい。気持ち悪くないか。「呼んでみただけ」気持ち悪くないか?!

「なあに、クリフト」

無邪気な姫様はまばたきひとつ、まじまじとわたしをご覧になる。わたしはますます言葉に窮し、顔を赤くしてごにょごにょ言う。

「いえ、その、ええと……」

「何よ、はっきりしないのね」

「よ……」

わたしは意を決して叫んだ。だがはにかむことは出来なかった。緊張で目をぎゅっと閉じてしまっていたからだ。そうでもしなければ、到底口に出来ない台詞だった。


「よ、呼んでみただけです!」


一瞬の沈黙。


「……あ、そう」

姫様はとっさに視線を泳がせ、困ったような、どうしたらいいかわからないような表情をなさった。

きっと、本当にどうしたらいいのかわからなかったのだろう。忠実な家臣に、突然訳のわからない物言いをされて。やはりわたしは間違っていた。わたし風情が高貴な姫様にこのような無礼な言葉を発するべきではなかったのだ。

だが姫様は上目遣いにわたしを見上げると、やがてぽっと頬を染めて、子供のようにこくりと頷いた。

頷いた後、笑顔があふれた。

「はい」

とたんに心臓がどくん、と鳴動し、瞼の奥で白金色の光がクラッシュした。

わたしの呼びかけに返事をしてくれたのだ、と気づいたのは、もぎたての果実をかじったような、甘酸っぱい痛みが頬の内側を駆けた後だ。愚かな振る舞いをしでかしてしまったという羞恥より、うわぁ、可愛いという衝動的な眩暈に襲われたのが先だった。

ああ、わかった。わかりました、姫様。

「呼んでみただけ」には、「貴方が好きだよ」というメッセージが隠されているのですね。何度でも名前を呼びたい。他に伝えることなど何もなくとも、貴方のことが大好きだから。そう、自惚れてもいいでしょうか。

言葉と引き換えに出来ないほどの想い。長いあいだ大事に温めすぎて、取り出すのに少しだけ臆病になってしまった、大切な想い。今はまだ互いに上手く伝えることが出来ないけれど、いつか必ず。

そしてその時は、どうか男のわたしから。

「姫様」

わたしはもう一度呼んだ。顔が真っ赤になっているのが自分でもわかった。情けない。が、仕方がない。わたしにはまだ、それ以上の言葉を紡ぐ自信も勇気もない。

でも、そこには未来がある。

目の覚めるような不安と、同時に輝くような希望に満ちた、わたしと貴女、ふたりの未知なる未来がある。

「なあに、クリフト」

姫様が続きを待ち望むように、鳶色の瞳をくるめかせてわたしを見上げた。わたしは目を逸らさずに、もう一度言った。

今度はさっきより、少しだけ大きな声で。言葉以上の想いを込めて。


「呼んでみただけ、です!」



-FIN-



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