あの日出会ったあの勇者
それからのひとときは、ブランカ一番街の町工場の女にとって、まるで舞台袖から大道芸の興行を見ているような時間だった。
緑色の目をした美貌の木工職人の手が触れると、まるで魔法を施したように見事に物の形が変わってゆく。
運んで来た木材を適当な長さに切ると、ふたつに分かれたテーブルの底に添える。何人かの女たちが急いで駆け寄ってそれを支えた。
いや、適当な長さではない。刃を立てる前に正確に目算しているのだろう。なぜなら彼は、二度伐り直しをすることがなかった。落とした木材は合わせる前から、もともとついているテーブルの足とほぼ同じ長さだった。
テーブルに足を作るのに、釘など必要ないということを女たちは初めて知った。
緑の目の若者は天板の裏側の足のあたる部分二か所を、ククリナイフで注意深く彫り込んだ。テーブルの底に、全く同じ大きさのかぎ型の穴がふたつ開く。
次に足の部分となる木材の先端を、同じように精妙に彫ってゆく。「これでいい」と若者がふっと息を吹きかけると、覆いかぶさっていた木くずが吹き飛んだ。女たちは思わず目をみはった。
丁寧に彫りあげられた先端部分は、先ほどのテーブルの底のかぎ型の穴と寸分たがわず同じ形だった。
つまり、天板の底に開けた穴に木材をがっちりと嵌めこむことで、金具を使うことなく丈夫で安定した足を作ることが出来るのだ。
流れるような手際の良さで木材の先端を彫りあげてしまうと、若者は黙って一本ずつ女たちに手渡してゆく。
女たちは協力して、二枚の天板をひっくり返し、穴に足を嵌めこむ。いつしか若者と女たちとの共同作業の様相を呈していた。
詰まったり引っかかったりすることなく、切られたテーブルのニ本の足がそれぞれの穴にするりと嵌まると、女たちはわっと歓声をあげた。
「ちょっとあんた、綺麗なお兄さん、すごいじゃない!」
「若いのに、なんて魔法の手だろうね。たったナイフ一本で、ひとつのテーブルをふたつに変身させちまったよ!」
「突然やって来て文句をつけ始めて、最初は見てくれのいい詐欺師かなにかと思ったけど、こりゃ大した腕前だわ」
「ふたつのテーブル、大事に使わせてもらうよ。あんたの言うこともわからないでもないもの。たしかに、休憩時間まで毎日全員揃う必要はないかもしれないわね」
「ありがとう、職人さん」
緑の目の若者は黙って立ち上がると、肩や服にまとわりついた木屑を手で払い落とした。
騎士が武器を検分するような鋭い目でテーブルをしばらく見つめ、問題ないと踏んだのか、女たちにくるりと背を向ける。
「じゃあ、俺はこれで失礼」
「ちょっと待ちな」
大柄な女がさっと立ちはだかった。
「あんた、ここまでやっといて手間賃を取っていかないのかい。まさか、後からとんでもない額をふっかけて来るつもりじゃないだろうね」
緑の目の若者はかすかに眉を上げた。
「手間賃?」
「ああ、そうさ。流しの木工職人ってのは、こうして行く先々で品物を作ったり修理してはお足を稼ぐんだろ。
でもね、言っておくけどあたしたちは、こんなことしてくれなんて一切頼んだ覚えはないよ。全部あんたが勝手にやったことだ。こちとら、お願いしてもないことに金を払う気はさらさらないね」
「そんなもの、貰うとは言ってない」
「ま……、だけど」
大柄な女は言い淀んだが、仕方なさそうに続けた。
「むかっ腹は立つけど、……ありがたいよ。壊れた椅子で怪我人が出るのも、仕事がはかどらなくなるのも勘弁だからね。
この工場の縫製部門はあたしひとりで仕切ってる。いつもひとりで物事を決めてたら、時々それが正しいのか間違ってるのかわからなくなっちまうんだ。
あんたにあれこれ言われたのが、いいきっかけかもしれない。休憩時間のすごし方だけじゃない、労働環境についても見直してみることにしようじゃないか」
緑の目の若者は肩をすくめた。
「それはなによりだ」
「ところであんた、金を取るつもりもないのにここに一体何しに来たんだい?
さっきは木工製品の買い手を探してるなんて言ってたけど、見たところなにも持ってやしないみたいだし」
「そういえば、今日のぶんの品物はもう全部売れたんだった」
緑の目の若者は無表情で空とぼけた。
「あんたたち、城下街市場に行くことはあるか」
「城下の市場なら、ここの人間はたいてい買い物に行くよ。あっちの方面から勤めに出て来てる女たちも多いからね」
「四番街の裏路地、袋小路のよろず屋ディートの店に、俺の作った木彫り製品を置いてもらっている。気が向いた時に見に寄ってくれ」
「ああ、必ず行くともさ!あんたが作ったんならさぞ立派な品物ばかりだろう。絶対に買いに行くよ。なあ、みんな」
「ええ!」
女たちは盛大に拍手し、口々に叫んだ。
「色男のお兄さん、明日から忙しくなるよ。あたしたちが全部買い占めちゃうからね」
「心配しないで。まけておくれなんて言わないから」
「体に気をつけて、これからも仕事頑張るんだよ」
「時々はまたここに来て、そのきれいな顔を見せておくれ。あたしたちに目の保養をさせてちょうだいな」
その時、壁の陰に隠れて様子を見ていたライははっとした。
緑の目の若者が、工場の女たちに向かって笑ったのだ。
「ありがとう」
いつも伏し目がちな瞳が女たちをきちんと見つめ返し、少し照れたようにぎこちなくほほえんでいる。
いい笑顔だ、とライは思った。
誇り高い、やわらかい、いい笑顔だ。俺もいつか大人になって、そしてあんなふうに笑えたら。
あんなふうに母さんを笑わせることが出来たら。ああ、でも見てみろライアン、ちゃんと笑ってるぞ。一緒に働いてるみんなと肩を並べて、出来たてのテーブルふたつに手を添えて。
世界が急に新しく取り換えられたかのようにじっと瞳を凝らして、弱々しげな唇の両端を楽しそうに持ち上げて。
母さん、笑ってる。