キスの熱
ミネアが泣いている。
まるで泣くことで、全てを吐き出してしまうかのように、嗚咽を洩らしながら、幼い子供のように。
クリフトは困惑しきって、空中に視線を泳がせた。
小さな頃から共にいるアリーナならともかく、日頃おとなしいミネアに目の前で泣かれて、どうしたらいいのか、気の効かない自分には全く解らない。
(貴方を尊敬し、お慕いしておりました)
はからずもミネアが口にしてしまった、クリフトへの精一杯の愛の言葉。
だがこの生真面目過ぎるほど生真面目で、良くも悪くもすれていない純朴な青年が、短いそのひとことだけで、彼女が胸に秘めていた想いに気付くはずもなかった。
首を傾けてしばらく考え込んだのち、ようやく彼が口にしたのは、およそ恋や愛とはかけ離れた、思いも寄らず厳しい言葉だった。
「泣いてはいけない、ミネアさん」
ミネアが顔を上げると、クリフトはまるで兄が妹を諭すような、凛然と引き締まった表情を浮かべていた。
「貴方も解っていると思うけれど、わたしたち神の声を聞く者は、市井に生きる人々よりほんの少しだけ、この世の理に近い場所で生きている。
それゆえ人々の悩み苦しむ姿に出会い、生きる導きを乞われることも非常に多い。
わたしもそうだよ。教会で行われる告解で、時に耳を覆いたくなるほどむごい惨状や、理不尽に虐げられて苦しむ民達の、言葉に尽くせぬ苦しみを聞いてきた。
けれど大切なことは、その苦しみの渦に自分も流されてしまわぬこと。
導き助ける役目を持つ者はいつだって、心に俯瞰するための幕を張り、なにがあろうとも揺るがぬ、鋼のごとき信念を持っていなければならないんだ。
水晶は例え泥にまみれようとも、暗闇に墜とされようとも、決してその透明な輝きを失わない。
わたしたちに必要なのは水晶の心。なにものにも曇らぬ、透明な精神を持つことだよ。
だからもう、泣いては駄目だ。泣いて動じるのは、優れた占い師として決してあるべき姿じゃない」
「クリフトさん……」
ミネアは言葉を失って、目の前の厳しく澄んだまなざしを見つめた。
そして気付いた。
尊敬していると告げた自分に対して、彼も持てる最大限の敬意を払い、常ならざる道を歩む同志としての叱咤を与えてくれているのだ。
そこに甘い男女の恋の空気は一切ないけれど、彼がミネアにどれほど真摯に向き合おうとしてくれているのかは、海のように深い色をした瞳を見れば、一目で解ることが出来た。
神の声を聞いて生きること。
人には見えぬ姿が見えたり、まだ起こっておらぬ出来事を知ることが出来る自分を、ずっとどこかで、気味悪く奇異な存在だと引け目を感じて来た。
だが目の前の青年の、なんと誇らしげなことだろう。
きっと彼自身も幼い頃から何度もつまづき、葛藤を繰り返しながら、それでも歩んで行こうと決めた道なのだ。
ミネアは衣の袖で急いで瞼を拭った。
「申し訳ありません」
うつむいて息を吸い込み、次に顔を上げた時はもう涙は消え、なめらかな褐色の面は新しい力を得た喜びに明るく輝いていた。
「わたしの修行が足りませんでした。
霊能者でありながら子供のように動揺したことを、恥ずかしく思います」
「神へと近付く道は長く、果てなく遠い。辿り着けるのかもわからない」
クリフトはにっこりと微笑んだ。
「それでも歩みを止めなければ、必ず距離を縮めることは出来る。
これからも共に頑張ろう、ミネアさん」
「はい!」
頷くと、うずくような喜びが胸に込み上げる。
目指す場所が同じ者だけが交わすことの出来る、かけがえのない友情。
恋はいつか終わるかもしれない。
でも、友情は終わらない。
「それにしても、本当に素晴らしい機知と見識ですわ」
ミネアは感嘆のため息をついた。
「モンバーバラにも教会はありますが、何分ああいう街ですから、クリフトさんのように優れた神官はひとりとしていませんでした。
同じ神の声を聞く者としてどのようにすれば、貴方のように上手く感情を制御出来るようになるのでしょうか?
わたしはまだまだ駄目です。昔からなにかあるたびに、すぐにめそめそと泣いてしまって。
きっとクリフトさんほどの能力を持つ方となれば、どんな事件が起ころうと冷静沈着で、人前でみっともなく涙を見せることなんて、決してないのでしょうね」
無邪気なミネアの問いに、クリフトは思わず咳込んだ。
愛しいアリーナと想いが通じ合った昨夜、彼女を腕に抱き締めながら、まるで寄るべない幼児のように、ぽろぽろと涙をこぼしてしまったのは、自分だ。
決まり悪げに顔を赤くしたクリフトを見て、ミネアは目をしばたたいた。
「……でも、ないみたいですね」
「すいません」
クリフトはうなだれた。
「偉そうなことを言っておいて、口だけで」
「いいんですよ」
ミネアはくすくすと笑った。
「誰にだって、泣きたくなるほど思うようにならない、たったひとつの特別な存在がありますもの。
ね、クリフトさん」