キスの熱
(クリフト、それにミネア……!)
アリーナは思わず息を飲んだ。
背の高い彼がミネアの声を聞き取るために、首を傾けて口元に顔を寄せている。
クリフトの表情は厳粛で、ミネアはうつむき、赤くなった瞳は泣いているようにも見えた。
とたんに鼓動が早まり、ささくれ立った脈拍が不均一にざわめき始める。
(どうしたの?一体、なにを話してるの?)
(ふたりで……ふたりだけで)
(キスしたの)
その時、記憶のすみに追いやったはずの言葉が這い上がり、こだまとなってアリーナの頭の中を激しく駆け巡った。
(キスしたの。クリフトさんとわたし)
(あれは、そういった愛情の行為などではありません)
(ごめんなさい。ごめんなさい……)
重なる唇。伏せられた蒼い目。
褐色の肌に覆いかぶさる、濃く甘い白檀の香り。
(嫌!)
声にならない声で、アリーナは叫んだ。
(嫌よ、嫌。わたし以外の女の人と触れ合うなんて、絶対に嫌なの……!)
抑えきれない嫉妬に包まれる自分が嫌なのか、それとも知らぬうちに触れ合ったふたりが嫌なのか。
それすらよくわからないまま、拳を丸め、皮膚に爪を立てそうになったその時、勇者の少年の言葉が、アリーナの脳裏に鮮やかによみがえった。
(少しは信用して、あいつの思うがまま行動するのに任せてやれ)
(心配しなくてもあいつの頭の中は、お前のことでいっぱいだ)
(―――姫様)
蒼い瞳からこぼれ落ちた、真珠色の涙。
(貴方がいなければ、わたしには生きている意味なんてない)
(好きだ。貴方が好きだ……)
記憶の中の囁きが、澱んだ心を春の雨のように濡らして行く。
(そうだわ)
アリーナは首を振った。
不意に夢から醒めたような心地が、全身を包んでいた。
(気持ちを確かめ合ったばかりなのに。どうしてこんなに簡単に嫉妬にとらわれて、疑ってしまうんたろう)
(信じなくちゃ。クリフトの言葉を。彼が伝えてくれた想いを……)
王女と神官という、あまりに違う立場で生まれて来てしまった二人が、寄り添って生きて行くためには、きっとこれから先も様々な困難が待ち受けていることだろう。
そんな時、なにより自分たちを支えてくれるものは、ふたりの間に結ばれた信頼という絆だ。
アリーナはくるりと踵を返し、身を寄せて言葉を交わしているミネアとクリフトに背を向けた。
歩き出す足が少し震えるのは、悲しくなるくらい無理をしているから。
本当は今すぐふたりの間に割って入り、自分以外の全ての女性と親密にしては駄目だと、クリフトを思い切り押しのけ、鈍感なその背中をうんとつねってやりたい。
でも今の自分に必要なのは、なによりもクリフトを信じる心。
苦しむ者に手を差し延べるクリフトを、誰よりも信じて見守る心だ。
(頑張って、クリフト)
愛おしい彼の影から離れて行きながら、アリーナは唇の中でそっと呟いた。
(お前のその生き方こそが、サントハイムの誇る「神の子供」たる所以。
わたしはそんなお前を、ずっと信じてる)