キスの熱
(苦しかった)
(いつか自分の最期を看取ってもらいたいとすら思っていた愛しい娘に、あっけなく先立たれてしまったことが)
(失ってしまったのに、それでも自分だけは生き続けなくてはならないことが)
(本当は解っていた。決してエドガンだけのせいじゃない。
忙しさに追われて娘を省みることなく、あいつらにナナを連れて行かせたのはわたし)
(そんな後悔と自責の念から逃れるために、何の罪もないエドガンの娘を憎しみの標的にした)
(そうすることで、良心の呵責から逃れようとした)
(わたしは、わたしは……)
「……許してくれ」
男は力を失ったように、がくりと床に膝をついた。
「許してくれ、許してくれ……!ミネア、ナナ、ナナ……!」
両手で顔を覆うと、全身を震わせて大声で泣き始める。
叫びは空気を震わせ、涙は長いこと根差していた苦しみを洗い流すように、あとからあとから頬を伝い、床へと落ちた。
「大丈夫」
クリフトの手が許しを与えるように、男の額に触れる。
「ナナさんは決して、貴方を責めたりなどしていません。
彼女が遺した愛は守りの息吹となって、貴方の傍にいつもある」
あるじが顔を上げると、サファイア色をしたふたつの瞳が慈しみに満ちた光を浮かべて、まっすぐにこちらを見つめていた。
「この世に存在するものとは、決して目に見える姿を持つものだけではありません。
わたしたち人間の魂は器となる肉体を失っても、光になり風になり、必ず愛する者の生を見守っているのです。
貴方のナナさんも同じように」
あるじの頬が歪み、何か言おうとする前に、青年はまなざしを優しく和ませた。
「わたしの言葉を、嘘だとお思いになりますか。その場限りの陳腐ななぐさめに過ぎないと。
心を解いて、言葉の向こうにあるもうひとつの囁きに、耳を澄ませて下さい。
神の伝える真理とは、一見陳腐な言葉の中にこそ隠れているものなのですよ」
それはあまりに不思議な感覚だった。
生粋の商人である宿屋のあるじにとって、青年が口にする言葉は、いかにも聖職者独自の神がかった奇抜さに満ちていて、およそすんなりと受け入れられるものではなかった。
なのにどうしてだろう。
泉に吹き渡る風のような、涼やかな声が鼓膜を撫でると、傷つき強張っていた心の壁がいつのまにか溶ける。
悲しみが、織り機から糸をほどいていくように、少しずつゆっくりと解きほぐされて行く。
「貴方も子供の頃は魂を信じ、もうひとつの世界を信じる心を持っていたはずです」
青年は微笑んだ。
「太陽が空にあるように、風が大地を渡るように、それは当たり前のものとして、わたしたちの傍にいつも存在している。
だって人は、ひとりで生まれて来たわけじゃない。
長い歴史の中、あまたの命が紡がれては出会いと別れを繰り返し、また命を育み、わたしたちの生は絶えることなく繋がって来た。
その身体がうつつの役目を終えたとて、魂の輝きまで消えてしまうわけがないと考えれば、彼らが次に向かう世界が確かにそこにあるのだと、まるでごく当然のように受け止められる。
そうは思われませんか」