キスの熱


朝の太陽はまだ始まったばかりの一日に、真新しい希望に満ちた輝きを与えてくれる。

それはこの世界中のあらゆる人に、平等に享受される喜びだった。

甘酸っぱい木苺のような芳香が鼻をくすぐり、ミネアは目を覚ました。

(ジャムを炊いているのかしら……?とてもいい匂いだわ)

深く眠った後の、すっきりとした覚醒が頭の中に立ち込めている。

眠る前まであった体を包む倦怠感も、今は綺麗に消えていた。

(なんだかお腹がすいて来たみたい。それに喉も渇いたわ)

(冷たくきりりとした果実水を飲んで、焼きたての柔らかなライ麦パンが食べたい)

昨晩は皆が飲めや歌えやの宴を繰り広げる中、さすがに何も口にする気は起きなかったが、今は病気になる以前と全く同じ空腹が訪れている。

たった一夜でこうもけろりと回復する、自分の現金さがおかしくなって、ミネアはくすりと微笑んだ。

(さあ、頑張らなくちゃいけないわ。ミネア)

この病を経たことで、改めて心に感じたことがある。

自分には、大切な仲間がいつも傍にいるのだと。

天衣無縫な姉も、ぶっきらぼうな勇者の少年も、そして優しい神官の彼も、仲間達みなが互いを思い、時に剥き出しの感情をぶつけ合い、そこからまた理解が生まれる。

これから新たに始まる旅は更に色濃く、導かれし光は鮮やかな虹となって、より調和に満ちた色彩を放つであろうと、何かが神託のようにミネアにはっきりと告げていた。

(それにしても……)

ミネアは起き上がって身支度を整え、自分の掌をじっと眺めた。

この指先まで満ちた、不思議な力はなんなのだろう。

病み上がりで食事も取っておらず、身体はまだ完全に回復してはいないのだが、まるで濃い霧が晴れたように、視界はくっきり色を増し、この世のものならぬ精霊の囁きまで、耳を澄ませば聞こえてきそうなほどだ。

(失恋は女の人を強くするって言うけれど、そうなのかしら)

あの清洌な蒼い瞳が、もしも傍らで自分を見つめてくれたら、どんなに幸せだろうと望んだけれど、それが叶わないからこそ、素晴らしい仲間として、胸を張って彼と向かい合える自分でいたい。

(だとすれば振られるのも、そう悪いことばかりじゃないわ)

ミネアはそっと手を丸めて閉じ、ひとり微笑んだ。

(自分の弱さも痛みも全て、乗り越えることが出来るんだと教えてくれる、素晴らしい経験)

「ミネア、調子はどう」

その時扉が叩かれて、おずおずと顔を覗かせたのは、既に正装して、お気に入りのコバルトブルーの三角帽子を頭に乗せた、アリーナ姫だった。

「あ……アリーナさん」

「顔色がとてもいいわ。すっかり元気になったのね」

「ご心配をおかけして、本当にごめんなさい」

「わたしこそ、ひとりで勝手に出歩いたりして」

ふたりは向かい合うと、いったん気まずそうに視線を離し、それからぎこちない笑顔を交わし合った。

「あの……昨夜はおかしなことを言ってしまい、すいませんでした」

先に口を開いたのは、ミネアの方だった。

「熱のせいで、まともな思考が働かなくなっていて、アリーナさんを不快にさせるような物の言い方を」

「そんなことないわ」

アリーナは真剣な顔で首を振った。

「そんなことないの。だからなにも気にしないで、ミネア。

あなたは大切な仲間よ。わたしはミネアが良くなって、本当によかったと思ってる」

鳶色の瞳には誠実な光が浮かび、ミネアはアリーナが言葉通りの思いを抱いていることを知った。

「旅はまだまだ続くわ。これからも協力して頑張りましょう、ミネア」

「ええ。……ありがとう、アリーナさん」

ようやくふたりの表情に、理解しあえた和やかな微笑みが浮かぶ。

「ああ、おなかすいちゃったあ」

アリーナは無邪気な声をあげて伸びをした。

「今朝は思いきり油っこいものを、おなかいっぱい食べたい気分なの。

マーニャ達はずいぶん豪華な夕食を取ったんでしょう?わたしも負けずに、狼みたいに食べるつもりよ」

「病み上がりで恥ずかしいのですが、わたしも今朝はなんだかお腹がすいてしまって」

「食欲があるのはとてもいいことだわ」

アリーナはにこにこして言った。

「食べものを身体に取り入れたいと思うのは、健やかであるなによりの証だもの。

ミネア、一緒にたくさん朝ごはんを食べましょうね!」

子供のように顔中で笑うアリーナを、ミネアは眩しそうに見つめた。

(どうしてクリフトさんがアリーナさんに惹かれるのか、解る気がする)

彼女は王女でありながら、繊細な薔薇でもなければたおやかな百合でもなく、太陽に向けて首をもたげ、逞しく大地に根を張る、生命力に満ちた向日葵だ。

「なあに、なにかわたしの顔についてる?」

首を傾げるアリーナに、ミネアは微笑みかけた。

「ううん。可愛くて、見ていると食べちゃいたくなるような方だなあと思って」

「え?」

アリーナの頬がぽっと赤くなったので、ミネアは吹き出した。

「冗談よ」

「もう!」

アリーナは真っ赤になって頬をふくらませた。

「ミネアがそんな冗談を言うなんて、思ってもみなかったわ」

「あら、わたしは喋るのは苦手だけど、頭の中では意外とおかしなことばかり考えてるのよ」

「それじゃこれからの旅のさなか、是非ともその内容について聞かせて欲しいわ」

「ええ、もちろんよ。

でもだからといって変わり者のわたしを、どうか嫌いにならないでくださいね」

二人の娘はひばりのさえずりのように、楽しげに声を立てて笑った。
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