キスの熱


窓の外の太陽は遠くもやに霞む東の山を既に越え、薄青色の空の中にくっきりとその姿を現していた。

階下からはがたごとと、使用人達が起き出して働く音が響き始め、朝食を炊ぐ良い匂いが、ゆっくりと立ち上ってくる。

(神にかけて、決して諦めません)

(わたしはアリーナ様を愛しています)

朴訥なクリフトらしく、直截的で思いのこもった告白に、勇者の少年ははからずも動揺し、なめらかな頬を薄く染めて咳払いした。

「……お前、そんなことを堂々と口にして恥ずかしくないのか」

「何故ですか」

クリフトは迷いから醒めたように、打って変わって明るい顔で言った。

「愛しているのは真実なのですから、何も恥ずかしいことではありません。

わたしが恥だと感じるのは、嘘をつくこと。己れの弱さに負け、欺瞞に満ちた言葉を口にしてしまうことです。

それを気付かせてくれたのは勇者様、貴方だ」

「俺?」

少年は驚いて目を見張った。

クリフトは深く頷いた。

「貴方様に相談してよかった。天空人の千里眼の力だとおっしゃいましたが、決してそのせいだけではありません。

貴方自身の聡明さ、仲間のことを真摯に思う優しさが、皆が心に秘めている真実を、まるで水が低きに流れるように引き出してくれるのです。

わたしはもう迷いません。サントハイムの王になる云々など、どうでもいいこと。

ただわたしは自分に嘘をつかず、アリーナ様をお慕いするこの想いを貫いて行きたい。

その結果この身がどうなろうとも、それは全て神のお導きです。

気付かせてくれて、本当に感謝しています。やはり貴方は、世界を救う運命の勇者でいらっしゃる」

「……」

少年は美貌を歪め、どう言葉を返していいものか迷うように、視線をあちこちに泳がせた。

やがて頭を乱暴にかくと、ため息をついてクリフトを軽く睨む。だがそのまなざしは、空に滲む朝の陽光と同じ温かさをたたえていた。

「確か昨日も同じようなことを、アリーナに言われた」

「そ、そうですか」

「その時もこう言った。お前が一人で勝手に喋って、風見鶏みたいに機嫌を変えてるだけだってな。

お前たち二人は似た者同士だ。神様が選んだ、切っても切れない腐れ縁なんだよ。

せいぜい互いを大切に、いつまでも仲良くしろ。じゃあな」

くるりと身を翻し、部屋を出て行こうとする少年を、クリフトは慌てて呼び止めた。

「待って下さい!」

少年が振り返り、目だけで問い掛ける。

「そ、その……聞いて頂くばかりでは、わたしはあなたに頼ってばかりです。貴方にも、何かわたしがお役に立てるような悩みはありますか。

迷い立ち止まり、どうしても誰かの助けを必要とするほど心を惑わす、悩みや願いは」

「ない」

間髪入れぬ答えだった。

少年は表情をもう一度微笑みの形にし、だが今度のそれはまるで硝子のような、美しいが何かが綺麗に抜け落ちた笑顔で、クリフトは胸を突かれて口をつぐんだ。

「俺にはもう、なにもない。

欲しいものも、会いたい人も、帰りたい場所もなにひとつ」

「そ……、勇者さ……」

言い残して出て行こうとするその背中に、クリフトが必死で言葉をかけようとした瞬間、少年は足を止めた。

こちらを振り返らずに、ぽつりと静かに呟く。

「……と、ずっと思ってた。

だがこうしてぞろぞろ群れて旅をするのも、思っていたより悪くない。

いずれ旅が終わったあとも、時々こんなふうに皆と集まれるなら、それがまあ、俺の願いみたいなもんだ。

騒々しくて、毎日はごめんだけどな」

扉がきしんだ音を立て、微笑んだ少年の姿を抱えたまま、やがてゆっくりと閉まる。

一人残されたクリフトは、ぼんやりと空中を見つめながら、少年が置いて言った言葉を、記憶に刻むように反芻した。

(大切なのは、諦めないこと)

(それは……わたしも)

(そして貴方もですよ……勇者様)

強い思いが起こす奇跡が、いつかあの悲しみを拭い去り、彼にまた誰かを愛することが出来る、安らぎに満ちた幸せが必ず訪れる。

クリフトは不思議な確信にも似た思いに満たされて、目を閉じて神に深く祈った。
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