キスの熱


いつかは向かい合わなければいけなかった問題が、壁となってクリフトの目の前に立ち塞がる。

それとも身分の差を悩むほど二人が近づいたということを、何を置いてもまず先に喜ぶべきなのか。

「王妃フィオリーナ様がお亡くなりになった後、お後添えを持たれなかった陛下にとって、一人娘のアリーナ様は、今や唯一の王位継承者です」

クリフトは自分に言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を吐き出した。

「高貴な血を繋ぐためには、同じように王家の血を継ぐ方との婚姻を交わさねばなりません。

一介の神官であるわたしの出る幕など、はなからありはしないのです。

そもそもわたしのように神に身を捧げて生きる者は、生涯未婚を通すのがいにしえからのしきたり。

戒律に反しているわたしたちがうまくいく方法など、いくら探してもどこにもないのですよ」

「戒律か」

少年は肩をすくめた。

「なら神官を辞めて、お前がサントハイムの国王になればいい。

なにも王族は絶対に民間人と結婚しちゃいけないって、わけじゃないんだろ」

「アリーナ様と同じことをおっしゃる。そんな夢物語のような話が、現実と叶うはずがないじゃありませんか」

「そうかな」

少年は淡々と言った。

「たとえばこの旅で見事邪悪を倒し、世界に平和をもたらしたという功績が認められれば、王女と共に戦った救世の英雄として、お前にそのくらいの地位が与えられても、決しておかしくはないと俺は思うが」

クリフトは思わず勇者の少年を見た。

美しいエメラルド色の眼差しは澄んで、冗談を言っている様子はない。

「サントハイム王は決して話の解らない、威張りくさった尊大な親父と言うわけじゃない。

むしろクリフト、お前に息子に対するような好意を抱いているように見えた。

確かサントハイムの王族には、未来を垣間見るという超能力が備わっていたよな。

もしかしたら国王は全てを知った上で、お前とアリーナが上手く行くお膳立てをするために仕向けようとしているんじゃないのか。

だから王宮騎士でもないただの神官に、わざわざアリーナの供をさせ、後々のお前の後ろ盾を付けるために、歳を取ったブライまで連れて行かせた。

クリフト、その意味が解るか」

少年の口元に不敵な微笑みが浮かんだ。

「全てはお前に、世界を救ったサントハイムの英雄として、王女の夫となり、次期国王となるに相応しい名誉を与えるためだ」

「……な」

背中に電気のような痺れが走り、全身に鳥肌が立つのが解った。

「……まさか、そんなこと」

絞り出す声もしわがれた老人のように震え、舌の上でもつれて消える。

「わ、わたしごときに、まさか陛下がそのようなことを……」

「アリーナに聞いたぞ。お前、国じゃ神の子供って呼ばれてるんだってな」

すぐ傍らにいるはずの勇者の少年の声が、まるで木霊のように遠くから響くのを、クリフトは耳にした。

「サントハイムの王族は、神が住む水晶の泉から現れたという、伝説の聖サントハイムの子孫だと言われている。

つまり国民にとっては、神にも等しい崇高な存在なわけだ。

その世継ぎであるうら若い王女が、共に戦った「神の子供」と謳われる青年と、身分の差を越えて晴れて結ばれる。

吟遊詩人が語る物語のような、美しい筋書きだ。決して不釣り合いでもなければ、批判を買うような、国民の納得の行かない婚姻でもない。

大体、アリーナはなんと言っていたんだ?あいつも曲がりなりにもサントハイム王家の末裔、予知の力は多少なりともあるはずだ。

常識や対面にとらわれて、ぐちぐちと悩んでばかりのお前より、よほど正しいことを言ってるんだろうと思うぞ」

(クリフト)

(わたしと結婚しなさい。これ以上いい方法は、他にはないでしょ)

(もしかしたらお前は、この世界だけではなくて、サントハイムという国そのものを救うために生まれたのかもしれないわ)

(わたしには解るの。お前は神様に愛されて生まれて来た人。


この世でたったひとり、生と死を司る力を持つ、神の子供なのよ…… )


青ざめて口をつぐんでしまったクリフトに、勇者の少年は肩を叩いて微笑みかけた。

「まあ、だからと言ってお前のような性格のやつが、わかりました、では姫と結婚してわたしが王様になります、というわけにいかないのも解るけどな」

「……わ、わたしは」

クリフトは声を震わせて呟いた。

「何があろうとも生涯アリーナ様をお慕いする、ただそれだけです」

「それでいいさ。ひたむきに生きていれば、自ずと結果は着いてくる。

大切なのは、諦めないことだ」


(諦めないこと)


諦めずにいても、いいのだろうか。


瞼の裏にいつでも浮かぶ、あの声、あの瞳。


あの笑顔を想わない日など、今までただの一度もなかったけれど。

これからもずっと傍にいて、彼女を見守り支えたいと、太陽のような微笑みが、いつも輝いていられるように、隣で守り続けたいと願ってもいいのだろうか。

たったひとりで逃げ出し、捨てられた子猫のように身を丸めて泣いていた姿。

もうあんなふうに、彼女を悲しませるわけにはいかない。


「……諦めません」


やがてエメラルド色の瞳に映る自分に向けて、クリフトは静かに告げた。


「わたしは、アリーナ様を愛しています。


だから決してもう、諦めたりはしません。


神にかけて。神の子供という名にかけて、決して」
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