キスの熱
一方その頃、コーミズ村の宿では、ミネアの寝室に仲間たち皆が集まっていた。
「遅いわねえ、クリフトにアリーナちゃん。みんなにこんなに心配かけて、一体どういうつもりなのかしら。
まさかここぞとばかりに、暗がりでふたりでいちゃついてるんじゃないでしょうね!
許せないわ、あーん、うらやましい!」
「うるさいぞ、マーニャ」
腕を組んで壁にもたれていた勇者の少年が、顔をしかめた。
「大体飲み過ぎだ。そのくらいでいい加減にしておけ。
ミネアの体調がよければ、明日の午後にはもう出発するんだからな」
「解ってまーす。可愛いミネアの無事の回復に、祝杯をあげただけだもーん」
革張りのソファに寝そべったマーニャは朗らかに笑い声を上げて、ほとんど空になった葡萄酒の瓶を振ってみせた。
「あんたも飲む?」
「いらない」
「ふん、つまんないガキね。じゃあライアンにトルネコにブライのじい様、ヒゲトリオは誰か一杯やらない?
あんなに苦しんでいたミネアが、ようやく良くなったのよ。もっと皆で喜んでも、ばちは当たらないでしょ」
「姉さんったら、もう」
ベッドに身を起こしたミネアは、申し訳なさそうに頭を下げた。
「皆さん、どうもすいません。姉に悪気はありませんから……」
「いや、謝りたいのはそれがしの方だ」
不意に言葉を遮って、ミネアの前に足を踏み出したのは、紺碧の瞳に雄々しくたくわえた口髭。
鍛え上げた鋼のように逞しい体躯。
尚武の国バドランドの誇る、屈強の王宮戦士ライアンだった。
「ミネア殿に強いて来た、これまでの数々の難儀、平にお詫び申し上げる」
ミネアは驚いて目を見開いた。
「ライアンさん……」
「ミネア殿、誠に申し訳なかった」
戦士は武骨な体を折り、深々と礼をした。
「これほどまで体に変調をきたすほど、ご無理を続けていたものを。
なまじ己の体が丈夫であるがゆえに、皆もそうであるものと思い込み、それがしには周りを気遣うことが全く出来ていなかった。
これまでミネア殿にはとかく非難がましい言葉ばかりぶつけてしまい、反省している。
確かに世界を救うため、旅路は急がねばならない。だが皆が息災であってこそ、初めて悪の成敗が可能になるというもの。
これからは仲間達の歩幅を合わせて、全員が健やかに旅を続けるよう努めて参ろう。
偉そうにしていても、それがしもミネア殿の回復魔法がなければ、傷ひとつ治すことが出来ぬのだ。
どうか改めてよろしく頼みたい、ミネア殿」
「……はい」
ミネアは涙を浮かべて頷いた。
「わたしこそご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
逞しく分厚い手と、褐色の小さな手が固い握手を交わす。
「やったね!」
マーニャの歓声が響いた。
「ライアンたら、偉ーい!さすが王宮一の戦士だわ。
それにしても、急にどうしちゃったの?今までミネアが不調になるたび、あんなに不機嫌になってたのに」
「先刻、クリフト殿にずいぶんと厳しく説教を受けたのでな」
ライアンは苦笑いした。
「さすが神に仕えし者。日頃は温厚であるがいざとなれば、間違ったことはぴしりと裁く真っすぐな心根をお持ちだと、深く恐れ入った」
「クリフトさんが」
胸に熱いものが込み上げて、ミネアは瞳を潤ませた。
(クリフトさん)
(ありがとう……)
恋する気持ちはまだすぐに、綺麗に消え失せたわけではない。
でも素敵な人を好きになったのだと確信出来ることは、切なさと同じくらい温もりに満ちた誇らしさを、心にもたらしてくれる。
(好きになってよかった)
(素晴らしい人を、好きになってよかった……)
「ミネアちゃん、調子はよくなったかい?」
その時ノックをして扉を開けたのは、エドガン姉妹を小さな頃から可愛がっている、宿屋のあるじだった。
「おじさん」
「顔色もいいじゃないか。いや、よかった」
背格好はほぼトルネコと同じくらい、恰幅のよい体を揺らし、あるじは優しく目を細めた。
「アイオア熱と聞いたから、酷くなるのではとずいぶんと心配したものだがね。
さすがあのエドガンの娘だ。早くに回復して、本当になによりだよ」
「ありがとう。こんなにいいお部屋まで貸してくれて、おじさまにはお礼のしようもありません」
「なあに」
あるじは商売人らしい、人好きのする笑顔を浮かべた。
「ミネアちゃんとマーニャちゃんなら、この宿まるごとだって貸してやるさ!
明日発つんだろう?今夜はわたしのおごりだ。めいっぱいご馳走を運んで来るから、ぱあっとやっておくれ!」
両手で指し示した廊下から、使用人たちが目も鮮やかな料理と酒を次々と運んで来る。
酔いにほてったマーニャの顔が、一層朱く輝いた。
「やったわ!パーティーよ。元気になったミネアのためのパーティー、みんなで騒ぎましょ!」
戸惑いがちの仲間達の頬も、湯気をたてる大量のご馳走の山に、ようやく緩み始める。
「夜は長いわ!さあ、思いきり楽しみましょう!」