キスの熱
一瞬なにを言われたのか解らぬように、クリフトはアリーナを凝視した。
それからしばらく沈黙したあと、言葉の意味をようやく理解して、「ああ」と頷いた。
アリーナはかっとなった。
「ああって何よ!」
「薬をお飲ませした、そのことをおっしゃっているのですか」
「薬!?」
「ミネアさんに」
アリーナは絶句した。
「く、薬って……」
クリフトは動揺の色もみせず、穏やかないらえを返した。
「薬を飲んで頂きたかったのですが、症状が重くご自分でお飲みになることが出来なかったのです。
ゆえにやむを得ずわたしが、ミネアさんに薬をお飲ませしました。そのことでしょうか」
「そ、それは、口移しでってこと……?」
「はい」
クリフトはこともなげに頷き、むしろ嬉しそうに微笑みさえした。
「先程お会いしましたら、すっかり元気になっておられましたよ。
明日には起き上がって、普段通りに動くことも出来るでしょう。本当によかった」
「よ、よかったじゃないわよっ!!」
アリーナは混乱して叫んだ。
「お前、自分が何を言ってるか解ってるの?!薬だかなんだか知らないけれど、ミ、ミ、ミネアと、
キスをしたんだって、抜け抜けとわたしに言ってるのよ!
そんなこと、そんなこと、許されるはずが……」
「あれは、そう言った愛情の行為などではありません」
クリフトはきっぱりと首を振った。
「あの時、ミネアさんは大変苦しんでいた。薬を飲まなければ、命に関わると思いました。
確かにわたしの振る舞いは、うら若い女性にとって非常に不躾で、ご気分を害させる行為だったのかもしれません。
ですが、わずかなりとも医術の心得を持つ身として、病に苦しむ方には、その時に出来うる精一杯の治療を施したい。
そう判断した結果、行ったことです。ミネアさんには嫌な思いをさせてしまいましたが」
「ミネアじゃないでしょーがっ!!」
アリーナはまた絶叫した。
怒りのあまり、くらくらと目眩がしてくるほどだった。
「クリフト、お、お前、わたしのことが好きだって言ったわよね!」
「はい」
クリフトは真剣な顔で頷いた。
「この世でたったひとり、貴方だけを」
「じ、じゃあそんなことを誰にでも軽々しくするのは、男女の倫を踏み外したことだとは思わないわけ?」
「誰にでもと言っても……」
クリフトは困惑した表情を浮かべた。
「意識を失うほど病状が進んでいる方に施す火急の方法ですし、それに教会ではこれまでもずっと、そうやって参りましたから」
「これまでもずっと?!」
アリーナは再び絶句した。
「お、お前……じゃあこんなふうに薬を飲ませるために、誰かにキスするのは初めてじゃないっていうの?!」
「はい」
クリフトはあっさりと頷いた。
「薬を飲ませるだけではありません。
例えば溺れ、呼吸をしていない方に、水を吐かせ肺まで空気を送り込むためにそうすることも、多々ありました」
「……」
アリーナは呆然とクリフトを見つめた。
蒼い目には生真面目な、真摯な光が浮かんでいて、悪ふざけや冗談を言っている様子は全くない。
(ああ、今度はわたしが病気になっちゃいそうだわ……)
不意に体中の力が抜けて、アリーナはへなへなとその場に座り込んだ。
「アリーナ様!どうなさいました」
「な、なんでもない……」
確かにクリフトとミネアは唇を合わせ、世間で言うところのキスをしてしまったのだ。
でもこれでは、怒るに怒れないではないか。
頭上に光る銀色の星達の瞬きが、馬鹿な自分を笑っているようで、アリーナは両手を地につけると、がっくりと肩を落とした。