キスの熱



大地を吹き渡る夜風が草の群れを揺らし、聖帽から覗いたクリフトの髪を、ふわりと宙に持ち上げる。

蒼い瞳が穏やかさを取り戻したことに、はがゆい物足りなさを覚え、アリーナは駄々っ子のように唇を尖らせた。

「まだ帰らない。もう少し二人でいたいの」

「しかし……もう随分と、夜も更けましたゆえ」

「お前はさっき、このままわたしとずっと一緒にいたいって言ったじゃない。あれは嘘だったの?」

なんて可愛いげのない言い方だろうと、内心自分に苛立つ。

だが十年以上も繰り返して来た、居丈高な物言いがどうしても抜けなくて、アリーナは言い放つと、すぐに後悔してうつむいた。

(わたしのこういうところが、女性として一番いけないところなんだわ)

(いつもいつも威張ってばかりで、優しさのかけらもない、憎らしい子供のような振る舞いしか出来ない)

一体こんな自分のどこに、クリフトは好意を寄せてくれているというのだろう?

アリーナは恐る恐る顔を上げ、クリフトをちらりと覗いた。

だが目が合ったとたん、強烈な面映ゆさに襲われて、慌てて下を向いた。

蒼い目がこちらへ向け、星明りのように優しく微笑んでいる。

「嘘なんかじゃありません」

クリフトは魔法のように囁いた。

「貴方のお傍にいたいと思わなかった日など、出会って以来一度もなかった。

アリーナ様、わたしはなにがあろうとも、いつも貴方だけをお慕いしています。

今こうして貴方と共にいられることが、わたしにとってどんなに幸せな事なのか、お解りになりますか?

貴方は……貴方はまるで、わたしにとって」

言葉を重ねるうちにまた感情が昂ぶり、クリフトは急いで顔をそむけた。

「……失礼致しました。何度も、お見苦しいところを」

「クリフト」

気付くとアリーナは自分でも無意識にクリフトを抱き寄せて、瞼に唇を寄せ、涙をそっとくちづけで拭っていた。

「そんなに、わたしのことが好きなの?」

「はい」

クリフトは声を詰まらせた。

「ずっと貴方だけを、命をかけて」

「わたしなんかの、どこが好きだというの」

「全てです」

クリフトが即座に力を込めて言ったので、アリーナはかあっと顔を赤らめた。

「あ……ありがとう」

「貴方はわたしの全て。この世にたったひとつの、かけがえのない太陽なのです」

クリフトは万感のこもった深いため息をつき、やがて気恥ずかしげな、少年のようなはにかんだ笑顔を浮かべた。

「でももう、これ以上は申し上げません。きっとまたわたしは不様に動揺し、情けなく涙を流してしまうことでしょう。

先程は激し、つい身の程もわきまえず自分勝手な思いを口走ってしまいましたが、わたしは身分卑しき一介の臣。

貴方様を陰ながらお慕いさせて頂く以上の、分不相応な望みは抱いておりません。

ですからどうか、アリーナ様はわたしのことなどお気になさらず、王女殿下としてこれからも幸いある人生をお歩みあって……」

「何言ってるの。わたしは、お前が好きなのよ」

抑揚のないクリフトの声を、アリーナの高らかな声が遮った。

「いい、クリフト。わたしが幸せかどうかは、わたしが自分で決めることだわ。

そしてわたしは、これからもずっとお前と一緒にいたい、そう思ってる。

こうしてひとりで飛び出してみて、よく解ったの。お前はいつもわたしの中にいる。孤独に戦う時も、疲れて休む時も。

だからわたしは、もうお前と離れることなんてないわ。

クリフト、これからもわたしと一緒にいて。傍にいて共に戦って。

そして……全てが終わったら、一緒にサントハイムに帰りましょう」


雲は去り星がきらめき、月の光を乗せた銀色の風が、夜を泳ぐ蝶のように二人の間を通り抜ける。


クリフトは黙って頷き、アリーナをきつく抱きしめた。

「……傷、痛い?」

アリーナはクリフトの背中に触れながら、微かに囁いた。

「少し。でも大丈夫です」

「どうして魔法を使わなかったの」

「貴方がもしお怪我をしていた時のため、魔力を蓄えておきたかったので」

「わたしは、ぴんぴんしてるわ」

「ご無事で本当によかった」

「こんなふうに怪我をしても、わたしにはこれからもお前の傷を癒してあげることは出来ない。

それでも、わたしでいいの?クリフト」

「傷など」

クリフトは透き通るように微笑んだ。


「魔法なんかいらない。


アリーナ様、貴方はわたしの命そのものだから」


そしてまたキス。

何度も繰り返すキス。


「いけない」

何十回目かのキスの後で、クリフトは息を切らしながら首を振った。

「本当に……このまま、帰りたくなくなってしまう」

「月があんなに高いわ」

アリーナはとろりと瞳を潤ませたまま呟いた。

「さすがに、皆が心配しているわね。マーニャが騒いでいるかもしれないし、

それにミネアの病も……」

その瞬間、アリーナの頭の中で、ミネアという名前が火花のように弾ける。


(ミネア……!)

(キスしたの。クリフトさんとわたし)

(キスしたの……)


「そうだわ!ミネアよ!」

「ミネアさんなら、無事に回復しましたよ」

温かな胸からがばと身体を離すと、アリーナはクリフトを睨み、草原中に響き渡る声で叫んだ。

「お前、ミネアとキスしたわね!クリフト!!」
19/46ページ
スキ