キスの熱


初めて目と目があったのは、一体どのくらい昔のことだったのだろう?

その瞳が放つ煌めきも、流れ星のように離れたとたん消える唇の温もりも、全てが夢なのか現実なのかさえ、もう解らなくて。


羽根と羽根が触れ合うほどごく短いキスは、まるで夜に落ちて来た不思議な月の光。


「……クリフト」

唇を離し、ひと時止まった呼吸に爪先をわずかに震わせながら、アリーナは消え入るような声で尋ねた。

「泣いてるの?」

この世で最も大切な蒼い宇宙から、真珠がこぼれるような涙が落ちる。

クリフトは自分でも驚いたように、慌てて頬を擦った。

「も、申し訳ありません」

「どうして泣くの」

「解らない」

呟いたその瞬間、枝先から雨のしずくが落ちるように、また透明な涙が頬を滑る。

アリーナはクリフトを見つめた。

困ったようにひそめた眉。

暗がりでもはっきりと解るほど上気した頬。

不安げな瞳は、おろおろしながら自分を肩車してはひっくり返って転んだ子供の頃と、まるきり変わらないような気もするし、全く違うほど変わったような気もする。

(変わらないのは、わたしたちがずっと一緒にいるということだけ)

「アリーナ様」

顔をあげると、唇が恐る恐る頬に寄せられた。

「好きです」

「うん」

「すごく好きだ」

「わたしも」

「ずっと、ずっとお傍にいたい」

「そうね」

「貴方がいなければ、わたしには生きている意味なんてない。

わたしには、貴方が全てなのです。この世に生まれ落ちた時から、きっと、ずっと」

抱き寄せる腕に力がこもり、アリーナは少し驚いてクリフトを見上げた。

海のように濃い青が熱があるみたいに潤んで、決して離すまいと必死にアリーナの姿を象る。

「貴方が好きだ」

「解ったわ」

「いいえ、解ってなんかいない」

クリフトはアリーナの髪に手を入れ、きつく身体を抱きしめた。

「痛いよ、クリフト」

「貴方は少しも解っていないんだ。わたしがどんなに、どんなに貴方のことを愛してるのか」

いったん口にしてしまうと、もう込み上げる感情を抑えることが出来なくなる。

クリフトはアリーナの小さな顔に覆いかぶさると、また唇を重ねた。

今度は少し荒っぽくて乱暴な、全てを奪い尽くしてしまうような長いキス。

体中の力が抜け、唇が離れると、アリーナはクリフトの胸の中にくらりと崩れ折れた。

「好きだ」

頭の上から、低くかすれた声が聞こえる。

「誰にも渡したくない。

アリーナ様、どうかわたしだけのものになって下さい」

自分が頷いたのかどうかすら解らないまま、
アリーナはクリフトの唇が再び降りてくるのを、夢心地のように見つめていた。

誰かにこんなにも愛されるという喜びが、指先から髪の毛まで、眩暈のような幸福感を与えてくれる。

息を弾ませながら何度もキスを繰り返し、ひそやかな愛の言葉を囁き合う。

永遠のようなつかの間のあと、やがてクリフトはアリーナの額にそっと唇を押し当て、身体を離した。

甘い陶酔が抜け切れず、アリーナは半ば呆然とその場に座り込んだ。

「姫様、大丈夫ですか」

「……うん」

「ずいぶん夜が更けました。そろそろ、皆が待つ宿へ戻らなければなりません。

お疲れでしょうが立ち上がって、歩くことがお出来になりますか」

「……お前は」

アリーナはクリフトの手を取ると、ぽつりと言った。

「お前は戻りたいの?クリフト」

クリフトはびっくりして目を見開き、顔を赤くした。

「……本当は、このまま貴方をどこかへ連れ去って、ずっと二人きりでいたい」

壊れ物に触れるように、そっと手の甲にくちづけると、表情を引き締める。

「でも、そういう訳にも参りません。今頃きっと、皆が心配しています」

そこにいるのは、もう熱情に浮かされた恋に翻弄されるする青年ではなく、普段通りの生真面目で誠実な、穏やかな「神の子供」クリフトの姿だった。
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