キスの熱
まるで心の全てを見透かすような、宝石にも似た少年の緑色の目。
何故かわけもなく恥じ入った心持ちになり、アリーナはさっと顔を逸らした。
「ごめんなさい。ぼうっとして」
「行かなくてもいいのか」
「わたしが?どこに」
「お前とクリフトはつがいの鹿みたいに、いつも一緒にいるからな」
「そ、そんなの……クリフトはサントハイム王家の臣下で、お父様からわたしの護衛をきつく頼まれているからよ。
ミネアの事は、クリフトに任せておいたら間違いないはずだわ。
それにもし本当に呪いがかけられているのだとすれば、武術しか使えないわたしは、行ったところで何の役にも立ちやしないもの」
勇者の少年は黙ってアリーナを見ていたが、ふと視線を外した。
「好きにすればいい。それからこのことは、マーニャには言うな。
病が酷くなったので、クリフトは薬草を集めに出掛けているとだけ言っておくんだ」
「どうして?マーニャなら魔法を使えるわ。
なにかの力になるかもしれないし、きっと彼女もそれを望むはずよ」
「呪詛がかけられているのは、おそらく亡くなった父親の墓だ。
錬金術師であれば、おそらく人前で大きな声では言えない恐ろしい実験も、数多くやって来たことだろう。
ミネアは霊感が強い上、血を分けた実の娘だから、呪いを引き受けてしまったんだ。
死んでなお父親が誰かに恨まれていることを知って、気分のいい子供はいない」
少年は懐から、怪我の治療に使う小さな木綿の布を取り出すと、丁寧にミネアの額の汗を拭ってやった。
ぶっきらぼうで、必要以上に他者に近づこうとしない彼が、仲間に対していたわりを滲ませたことにアリーナは驚いて、思わず少年をまじまじと見つめた。
「なんだよ」
「他人に興味なくて、いつも野良猫みたいにそっけないあなたが、そんな優しい気遣いをすることもあるのね」
「な……」
少年はびっくりしたように美貌を引きつらせ、それからぱっと顔を赤くした。
アリーナはますます驚いて、目を丸くした。
「お前……、俺の事を一体なんだと思ってるんだ」
「うーん、そうね。無口で人間嫌いで、決して他人を寄せ付けない、氷のように冷たい冷たい勇者様」
「……あのな」
「冗談よ」
アリーナはくすっと笑った。
「でも、無愛想でとっつきにくいのは本当。だからあなたの優しい所を見る事が出来るのは、すごく嬉しいわ。
わたしはあなたともっとお喋りしたり、宿にいる時も一緒に過ごしたいなと思っていたもの。
みんなで集まってくつろいでいる時、あなたひとりだけ、いつもどこかに行ってていないでしょ。
まだまだ長く苦しい旅は続くわ。わたしたち、もっと仲良くなりましょうよ。同い年なんだしね」
「……」
勇者の少年は頬を赤らめ、居心地悪げに顔をしかめていたが、やがて仕方なさそうに小声でなにか呟いた。
「え?なあに」
「……誰かを大切に思うようになるのが、もう嫌だったんだ。だから必要以上に、誰とも親しくなりたくなかった」
無意識に左胸に手をやり、なにかを確かめるようにそっと掌をあてる。
旅のあいだ既に何百回と見掛けた、祈りにも似た少年のしぐさ。
心臓と同じ場所にあるそのポケットになにが入っているのか、皆は知らない。
汚れて煤け、乾いた血のこびりついた、小さな白い羽根帽子。
「失う悲しみを、もう二度と味わいたくない。それならずっと、独りでいた方がいい」
「あなたはもう決して、何かを失ったりしないわ」
アリーナは力強く言った。
「わたしたちは絶対に死なない。そして、誰ひとり犠牲にしたりはしない。そのためにこうして戦っているのよ。
もちろんあなたも、わたしたちも、ミネアも、クリフトもね。
……わたし、やっぱり行く。クリフトのところに」
嵐のように渦巻いていた迷いや疑念が、いつしか霧のように消えて行く。
血を温める不思議な力がふつふつと湧き上がって来るのを感じ、アリーナは微笑んだ。
「ありがとう。あなたと話したら、なんだか元気になったわ。さすが神に選ばれし世界を救う勇者ね」
「俺は何も言ってやしない」
少年は苦笑した。
「お前がひとりで、風見鶏みたいに機嫌を変えてるんだ」
「ミネアを頼むわ。クリフトは必ず、わたしが無事に連れて帰って来るから」
「……ア、リ……ナ…さ……」
その時、横たわるミネアの乾いた唇から、風鳴りのように弱々しい声が漏れた。
「ミネア!」
「無理に喋るな」
少年が厳しい顔で言った。
「アリーナ、耳を寄せてやれ」
「解ったわ」
アリーナは頷いて、苦しげに歪むミネアの唇に自分の耳を近づけた。
「ごめ……な、さ……わ……たし……」
「何も謝ることなんてないわ、ミネア」
アリーナは安心させるように言った。
「あと少しの辛抱だから、頑張るのよ。すぐに元気になるからね」
「ク……リフト……さんが」
ミネアは喉を振り絞るように、一語一語苦しげに囁いた。
「きっと……呪いの波動を……受けているわ……。
わ……わたしのせい……早く……助けてあげて……」
「呪いの波動?」
「接触による……体内のエレメントの交感で……。
クリフトさんはきっと、他人の痛みを……代わりに吸収してあげようとする意識が、強いから……」
「接触……?」
言葉の意味を量りかねて、アリーナはおうむ返しに呟いた。
ミネアの閉じた瞳から白い涙が溢れた。
「ごめん……なさい……」
そしてアリーナは、ミネアの紫色に変色してしまった唇から、最も聞きたくなかった言葉が滑り落ちるのを、はっきりと聞いた。
「キス……したの……。
クリフトさんと……わたし……」