キスの熱
「アリーナ様は……いつもお健やかで、めったに病になど掛かることがありませんから」
顔を赤らめて歯切れ悪く呟くと、クリフトはミネアの額に手をやった。
ひんやりした掌の心地良い感覚。
頭の芯を包む焼けるような痛みと熱さを、わずかに和らげてくれる。
「先程の薬には催眠作用があります。夜になれば、また熱が上がるでしょう。今のうちにしばらくお眠りになるといい。
食事を取って、わたしもすぐに戻って来ますから、ミネアさんは何も気にせずゆっくりと休んで下さい。
目が覚めたら潰した果物と粥か何か、口にしやすいものを運んで来ましょう」
「ごめんなさい……」
自己嫌悪に襲われて、ミネアはか細い声で呟いた。
閉じた瞼の端から涙が溢れ、クリフトは戸惑ったようにミネアを見つめた。
「嫌な言い方をして……。わたし、どうかしてるんです」
「構いませんよ」
クリフトは微笑んだ。
「それにもしアリーナ様だと、とても冷静に対処出来ないのは本当のことですし」
「……そんなに、お好きなのですか」
それ以上言ってはいけないと引き止めるように、何かがミネアの頭の中で鐘のように鳴る。
でもまだ目の前の彼が触れたばかりの、痺れるような熱を残す唇は、溢れ出す言葉を押しとどめる力をどうしても持つことが出来なかった。
「ア、アリーナさんは貴方にとって主君で……とても高貴な身分の方で……。
どんなにお慕いになっても、クリフトさんのお気持ちが叶い、お二人が幸せになることが出来るとは、わたしには思えません」
クリフトは黙ってミネアを見つめていたが、ふと唇を持ち上げ、白い歯を見せた。
「そうですね」
「だったら……!」
(もうアリーナさんは諦めて、わたしを……わたしのことを見て欲しいんです)
(わたしは、貴方が好き)
熱に浮かされた心が逸る。
今ならきっと、伝えられる。
けれどここで想いを告げたとして、彼が一体なんと答えるのかは、病に侵され、冷静さを失った今の自分でも容易に想像がつくことだった。
「わたしは別に、あのお方との間に何かを望んでいるわけではないんです」
誰に言うともない様子で呟くと、クリフトは立ち上がった。
「さあ、もう眠って。明日は死者の祭です。
愛しい娘が病に苦しんでいると知れば、天国より戻って来られたお父様も、さぞかし悲しまれることでしょう。
早く元気にならなくてはなりませんよ。わたしももう少し、薬の調合を改めてみますから」
「……クリフトさん!」
ミネアは急いで呼びとめた。
このまま彼が立ち去ってしまえば、もうこの唇に佇む甘い熱は、まるで蜃気楼のように跡形もなく消え失せてしまうような気がした。
「はい」
「ク、クリフトさんは」
ミネアは慌てたように言葉を探した。
「その、確か……わ、わたしより二つ三つほど、お年が上でしたよね」
クリフトは不思議そうに瞬きした。
「そうでしたね」
「それであの……お願いがあるんですが、そ、その……」
ミネアは真っ赤になった。
「わたしに……敬語を使ってお話しするのを、止めて頂けませんか。
わたしはアリーナさんのように王家の出身でもなく、勇者様のように天空の血を引く尊いお方でもない、ただの田舎村出身の、なんの取り柄もない小娘に過ぎません。
ですからどうか、そのように気を遣わないで頂けると、とても嬉しいんです。
大切な……仲間として」
「……」
か細い言葉を聞いているうちに、クリフトの目元が徐々に柔らかく和んだ。
「解りま……解った」
蒼い目が春の陽射しのように優しい光で自分を映し、温もりが伝わるとミネアはまるで、自分が幼い少女に戻ったような、奇妙な錯覚にとらわれた。
(なにかしら、この感じ)
(何故か懐かしくて、胸が安らぐようなこの感じ)
「ではミネアさんも、わたしに敬語は止めるようにね。
共に神を敬う者としてこれからも協力しあい、仲間の為に努力していこう。
そのためには貴方は、早く元気にならないと」
「は、はい」
「ではしばらく眠りなさい。また後で様子を見に来るから。
……おやすみ、ミネアさん」
微笑むと、聖職者らしい落ち着いた仕種で、クリフトは静かに部屋を出て行った。
(……行ってしまった)
お休みと言ってくれた。
まるで仲の良い妹に語りかけるように、飾らないそのままの言葉で。
(嬉しい……!)
頬がかっとほてり、どきどきと心臓が弾む音が聞こえる。
ミネアは寝返りを打ちながら、思わず両手で自分の身を抱きしめた。
(あら……)
ふとその時、胸の上に萌黄色をした、刺繍入りの衣がかけてあることに気付く。
(これは……クリフトさんの上着だわ。でもどうして?)
熱で痛む身体を無理矢理に起こし、訝しげに自分の姿を眺めてミネアはようやく、自分が身に着けている衣服が一体どんなものだったのかに気付いた。
「きゃあああ!!」
はしたない装いに嫌悪の表情を浮かべながら、自分に上着を掛けるクリフトの姿が浮かぶ。
ミネアは絶叫すると、一気に熱が上がってしまったようにうーんと呻いて、そのままベッドに昏倒してしまったのだった。
「姉さん……これはきっと姉さんのしわざね……!
馬鹿ぁぁ!!」