邂逅のとき



どんな人間にも必ず訪れる、別れと名のつく最大の悲しみ。

決して忘れえぬその痛みを、子供だったあたしはもうとっくに経験した。

ただ、その痛みがどこか実感を伴わず、知らない誰かの出来事のように遠く感じたのは、あまりにそれが前触れなくやって来たからだ。

どうしても受け入れたくなくて、痛みの核心から注意深く目を逸らしていたからだ。

だからこんなふうに、まるで待ち合わせをするみたいに約束された別れと向き合うのは、初めてだった。

さよならと引き換えに教えられたことも、いろんなものを残して立ち去られたことも、全部初めてだった。



初めて刺さった寂しさの針が、記憶の断層に消えない引っかき傷を残した。








「……おい。

なあ、おい」

瞼の上でちらつく金色の木漏れ日が、朝の訪れを知らせる。

眠りを包んでいた暗闇に散らばる色彩の濃さが、今日も晴天であることを教えてくれる。

(イーサ。フィエサ。

明日の朝わたしと別れたら、その足で必ず修道院に向かうんだよ)

じゃあ、こうして唇についた砂のざらつきや、背中のだるさと共にやって来る目覚めはこれが最後なんだ。

それが嬉しいのか煩わしいのかも、今のあたしにはまだよくわからなかった。

でも、消えている。

たった三日間で、あたしはいつの間にか考えることすら忘れている。

まだ生きてるんだって安心も、まだ死んでなかったんだっていう絶望も。

(当たり前になっちゃったからだ。起きて考えて、自分の意思で一日を過ごすことが。

たった三日で……あいつが、そうなるように仕向けたからだ)


自分の足で生きていけるように。


ちゃんと幸せになれるように。


(でもたぶん、あたしたちはもう、なってる)

だって幸せとは、安心も絶望も忘れてしまうことだから。

手足があることを不思議がらないように、目が見えることを愛しく思わないように、全部が当たり前にここにあると感じた時、今ここにいるあたしはもう、誰よりも幸せだから。

「おねえちゃん」

傍らのイーサの声が強張ったので、あたしは我に返った。

よく聞けば、先ほどから何度も呼びかけて来る声は、クリフトのものではない。

「なによ、またあんたなの?」

ばっと起き上がってイーサの前に回り込むと、あたしは声の主を怒りを込めて睨みつけた。

「お、おい、待て」

「こんな朝っぱらから、まだなにか用でもあるの?あたしたちもう、城門の前なんかで寝てやしないわよ!

それとも非番の日を使ってまで、目障りな乞食をどうしても殺したくて仕方がなくなったわけ?」

「ち、違う……」

焦った顔に、荒々しく槍を突きつけたあの時の酷薄な表情は微塵もない。

世界最強の王国エンドールの紋を打った鎧をすっかり脱いで、質素な貫頭衣に身を包んだ男の正体は、三日前にあたしたちを厳しく誰何した、城門の護衛兵だった。

「あれから、頭の傷はどうだ」

男は居心地悪そうに辺りを見回すと、懐から小さな紙を出した。

「なによ、これ」

「宮廷医師の保護紹介状だ。これがあれば、金がなくても医者に診てもらえる。

願い出れば薬以外に、衣服と食料品の配給も受けられるだろう」

「……あんた、これをあたしにわざわざ持って来てくれたの?」

護衛兵の男はかっと赤くなった。

「悪く思うな。俺の仕事は、国王のおわします城の金門を命を懸けて護ることだ。

もしお前たちがまたああして門の前をうろつくなら、俺は再び槍を向けねばならん。

だが……その、すまなかったな」

「ありがとう、兵士さん!」

イーサが嬉しそうに笑った。

「ぼくたち、もう門の周りで寝たりしないよ。修道院に行くことにしたんだ」

「そうか。それが賢明だな」

「そうだ!ねえ、兵士さん」

イーサは顔をほころばせると、昨日クリフトが作ったミルフォイルの薬瓶を、男の前に突き出した。

「これ、あげるよ。どんな傷や病にも効く手作りの万能薬なんだ。

衛兵さんだったら、訓練なんかで怪我をすることもしょっちゅうあるんでしょ」

「それはそうだが……いいのか。こんなに多く」

「構わないけど、その代わり、ひとつ約束して欲しいことがあるんだ」

イーサは言った。

「ねえ、兵士さんは結婚している?」

「ああ」

「じゃあこの薬を、まず奥さんにあげて欲しいんだ。

そして小さな瓶にたくさん分けて、奥さんのお友達にも配って欲しい。

それからみんなに、こう喋ってくれないかな。これを作ったのは、修道院にいるイーサ。薬草の申し子イーサ・フォロプリストだって」

「フォロプリスト?」

あたしは驚いてイーサを見た。

「あたしたちの姓は、マキシマムでしょ」

「ううん」

イーサは高々と顔をもたげて告げた。

「ぼくの名は今日から、フォロプリスト<神官に続く者>だ。

そう名乗れば、いつもどんな時でも、真っ直ぐに生きていけるような気がするんだ」

「イーサ……」

あたしはそっと頷いた。

「……なら、あたしも。

あたしもこれからはそう名乗る」

「これを配ればいいのだな。妻と、その友人たちに」

兵士は武骨な顔をようやく笑み崩した。

「そのようなことでよければ、いくらでも」

「ものすごくよーく効く薬だって、くれぐれも伝えておいてね」

イーサは片目をつぶった。

「繁栄豊かなエンドール、いかさまエル・ド・ラド広しといえども、この薬を作れるのは小さなイーサ、ただ一人だけだって!」

「了解した。しかと伝えておこう」

兵士は瓶を顔の横に持ち上げると、同じように片目をつぶった。



「いかさまな王国に仕える者として、心より責任を持ってな」







(……ねえ、よかったの。イーサ)

(なにが?)

(あれ、あんたが作ったんじゃないでしょ。あんなこと言って)

(へいきだよ。調合ならもうすっかりこの頭で覚えたもの。これからいくらだって作れるし)

(道具屋に売れば、100ゴールドになったっていうのに)

(おねえちゃん、もう忘れたの?お金はただの脱ぎ履き自由な靴なんでしょ。

それよりぼくたちはまず、これからどんな靴を履いて生きていけばいいのか、ちゃんと考えなきゃいけない。

それに、兵士さんにお願いした作戦がすぐにうまくいくかどうかもわからないしね)

(トルネコ直伝の商売の秘訣ってやつ?あんなので、ほんとに効果があるのかしら。

<女性の心をつかめ>……だなんて)

(すべての評判は女性の口から出て、すべての流行は女性を中心に巡るんだって、クリフトさんは言ってたね)

(うさんくさいったらありゃしないわ)

(そうかなあ。ぼくはよくわかるような気がするけどな。

だって、今ぼくたちがここにこうしていられるのも、元はと言えばクリフトさんが、おねえちゃんの心をつかんだからでしょ)

(なっ……!イ、イーサ、あんた!!)

(しっ……ほら、来たよ。おねえちゃん)

(え?)

(クリフトさんだ。会いに来てくれたんだ。なんだかすこし悲しそうな顔をしてる。

きっと、さよならを言いに来たんだね。ぼくたちに)
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