邂逅のとき



(それは、修道院だよ)


あたしは黙っていた。

驚きは全くなかった。

むしろ彼がこれまでそれを言いださなかったことのほうが、不自然だったのだから。

「あ、あの、ぼく……」

イーサは、おどおどとあたしを気にしながら言った。

「本当は……ぼくも、ずっとそうしたほうがいいんじゃないかと思ってた」

「イーサ。フィエサ」

クリフトは静かに言葉を続けた。

「君たち姉弟は、とても頭がいい。

仮にこのまま路上に暮らしたとしても、ふたり生き伸びていくことは出来るだろう。

だが、君たちはまだ子供だ。大人になるためにたくさんのことを学ばねばならないし、三度の食事をきちんと取って、丈夫で強い体を育てなければならない。

今の君たちはようやく土に根を張ったばかりの、成長途中の弱い根だ。

芽を出し、美しい花を咲かせるために、やらなければならないことがたくさんある」

「わかってるわよ」

あたしは出来るだけそっけなく言った。

「修道院に行けば、温かい食事とベッドにありつけて、大人たちに守られた心穏やかな暮らしが送れる。

そんなの最初からわかってたのよ。

……でも、あたしは……。あたしは……」

「それでも、どうしても行きたくなかった?」

クリフトは優しく言って、あたしの頭をそっと抱えた。

「君の気高い誇りを守るため、誰かに頼るわけにはいかなかった?」

「だって……、だって!」

こらえきれなくなって、ついにあたしは叫んだ。

「父さんと母さんは……、そうさせるためにあたしたちを置いて行ったんだもの!」

ずっと封じこめてきた言葉が、堰を切ったように溢れだす。

イーサが驚いたようにこちらを見たが、もう抑えることが出来なかった。

「あの人たちが死んだ時、あたしはすこしも悲しくなんかなかった!

ただ、腹が立ったわ。おなかが煮えくり返りそうなくらいに!

ちゃんと育て上げることも出来なければ、だからって道連れにする勇気もなくて、まるで飼うのを持てあました家畜みたいに、あの人たちはあたしたちを放り出して逃げたのよ!

修道院に行けば、同じような目に遭った子供たちがたくさんいる。

皆で傷を舐めあって平和に暮らして、そのうちにあの人たちの顔も声も、記憶から薄れて消えていく。

それが、あの人たちの望んだことなのよ。命を捨てて、代わりにあたしたちに新たな飼い主を与えたのよ!

あたしはそんな思惑に乗ってなんかやらない。

あの人たちの言うなりになんかならない。それが、あたしの誇り。

父さんと母さんに、ちゃんと愛されて育てられていたんだっていう、あたしの……!」

毎日毎日、硬い土の上で眠って、いつのまにかかさかさにひび割れていた頬。

埃と砂にまみれて汚れ、視界まで狭くした睫毛。

すんと鼻を啜ったとたん、小さいとき礼拝で嗅いだ香油と同じ、濃くて甘い白檀の香りが喉に飛び込んで、その瞬間どっと涙が吹き出した。

「どうして!どうして置いて行っちゃったのよ!

どうしてあたしたちを置き去りにして、自分たちだけ勝手に死んじゃったのよ!

あたしはどんなに貧乏でも、ご飯が食べられなくても、ただ……家族みんなで、いつまでも一緒にいたかっただけなのに……!」

あたしは萌黄色の法衣に顔をこすりつけて、思い切り泣いた。

これまで均衡を保ち続けてきた、心の表面張力は失われ、どろどろした怒りや悲しみや、ささくれだったすべての思いが溶け出し、溢れ出した。

やがて全部が流れ落ち、土に水がしみこむように、一瞬の鮮明な軌跡を描いて消えると、

「フィエサ」

背の高い神官の青年の、笛の音のような涼やかな声が耳に届いた。

「君は、お父さんとお母さんのことがとても好きだったんだね」

「嫌いよ。大嫌い。

あたしたちを置いてけぼりにする奴なんて嫌い!」

「大丈夫だ。置いてけぼりになんてしていない。

ご両親はちゃんと、君たちを待っている」

「……じゃあ、どこで待ってるって言うの?」

不意にイーサが口を挟んだので、あたしははっと泣き濡れた顔を上げた。

イーサの瞳はあたしと同じくらい涙で濡れ、だが決して泣き声をあげまいとするように、小さな眉は寄せられ、唇をきつく引き結んで必死にクリフトを見据えていた。

「クリフトさん、ぼく、どうすればふたりに会えるの?

お父さんとお母さんは、今どこにいるの?」

「それはね」

クリフトは両手でイーサの涙をそっと拭った。

「ここだよ」

形良い爪が乗った指が、まっすぐに差し示す。

それは、そばかすの浮いたイーサの鼻の頭だった。

「もしもさみしくなった時は、鏡に向かって笑ってみてごらん。

君たちふたりの目にも鼻にも口にも、大好きなお父さんとお母さんの面影が住んでいる。

君たちがこうして今、この世界に生きているということ自体が、ご両親が与えてくれたかけがえのない愛情のあかし。

それは記憶とは違う、永遠に消えずに残る確かな命の絆だ。

お父さんとお母さんは、神の懐まで続く長い旅路を、ほんの少しだけ君たちより先に歩いて行った。

でもちゃんと、君たちを待っている。

君たちが輝ける生をせいいっぱい生き抜き、その命を思うぞんぶん使い切ってから、神が導く光の国で再び会うため、必ず君たちを待っている」

「神様のいる、光の国……」

イーサがぽつりと呟いた。

「……ぼくは、いつそこでまた、お父さんやお母さんと会えるんだろう。

早く会いたい。今すぐ会いたいよ」

「そうだね。だがせっかく会うのならば、ご両親を喜ばせてあげたいとは思わないか」

クリフトはほほえんだ。

「別れたその時のままではなく、今よりもっと大きな自分になって。

胸を張って会える、成長した自分になって。

わたしはいつもそう思っているよ。

誰にでもいつか必ず訪れる、愛おしくて遠い魂との邂逅のときに、この生を与えてくれた感謝を言葉よりも確かな心で伝えるために、

「生まれた自分以上の自分」になって、愛する父と母のもとへ向かいたい。


わたしはいつもそう思って、この限りある命を生きている」
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