邂逅のとき
「勝負?」
あたしは訝しげにクリフトを見た。
「なによ。あたしが金魚のふんなんて言ったもんだから腹を立てて、大の大人がこんな痩せこけた子供相手に、とうとう暴力を振るおうってわけなの」
「あのね……そんなわけないだろう」
クリフトはため息をついた。
「小さなフィエサ、君の喋りが我があるじに似てるって言ったのは撤回だ。
君はひねくれすぎてる。もう辛い思いをしたくないからと身構える気持ちはわかるが、目の前にあるものを、ただあるがままに受け止めること。
そんな素直さも、誇りを持って生きて行くうえで、とても大切なことなんだよ」
「あー、うるさいうるさい。あんたの小言を聞いてると、余計におなかがすくわ。
役にも立たないお説教は、教会の祭壇の上だけにしといたらどう」
「ぐ……」
世の中のどんな男よりも強いという、彼の<あるじ>の話を聞いたせいもあったが、さっきから見ていると、どうもこのクリフトという青年は、気の強い女に根っから頭が上がらないらしい。
普通ならこっぴどく怒られてもしかたないような、あたしの失礼な発言にも、彼は困ったように眉を下げただけで、なにも言い返そうとはしなかった。
「ねえ、勝負ってなに?クリフトさん」
イーサが急いで尋ねた。
「どんなことをするの。ぼくらがそれに勝てば、なにか食べさせてもらえるの」
「イーサ!」
「食べさせるんじゃない。勝負は勝負だ。
戦利品を得ることが出来るのは、勝負に勝った者だけだよ」
クリフトは背中に腕をやって、杖の束に掛けていた小さな麻の袋を取った。
紐をほどいて手を入れると、中からまだかぐわしい匂いを漂わせたパンと、竹の皮に包んだ干し肉、そしてよく熟したリンゴを出す。
潰した杏が練り込んである大きなパンは、この街で大人気の流行もので、干し肉は鹿肉を甘辛く煮詰めてから干した、日持ちが効くエンドール特産の保存食だ。
あたしは眉をひそめた。
まるであらかじめ用意していたかのように、全部の食物が三つずつある。
「いいかい、ルールは簡単だ」
クリフトは噛んで含めるように言った。
「今からわたしが言う言葉をひとつひとつ、順番どおりに覚える。そしてそれをすぐに復唱する。
一度も間違わずに言うことができたら、君たちの勝ち。
一度でも言葉に詰まったり、言い間違えたりしたら、わたしの勝ちだ」
イーサは拍子抜けした顔になった。
「それだけ?」
「やる前から油断するのはよくないな。言っておくが、そう簡単じゃないよ」
クリフトは笑った。
「わたしは一度しか言わない。繰り返しもしない。耳に神経の全てを集めて、言葉を音として捉えるんだ。
集中力を研ぎ澄ませれば、人は思いも寄らない能力を発揮することが出来る。
イーサ、君は必ず覚えることが出来る」
「わかった」
イーサの頬が紅潮した。
「やってみるよ、ぼく」
「では始めようか」
クリフトは目を閉じて小さく息を吸い、ゆっくりと言葉を発し始めた。
「……桔梗、芍薬、甘草」
弦楽器のような低く余韻のある声が、一語一語ていねいに音を形作る。
「イーサ、こんなの馬鹿馬鹿し……」
「黙って、おねえちゃん!」
わたしは口をつぐんだ。
イーサは唇を噛み締めて胸の前で拳を握り、これまで見たことのないような真剣な表情で、クリフトを凝視している。
「桂皮、胡椒、樟脳、大黄、肉豆冠。
良姜、白檀、小葉十練子。
大麦、梔子、夷草」
そこで一旦言葉を切ると、クリフトは続けた。
「檜、糸瓜、人参、毒溜、現証拠。
桑、栃、木肌、槿。
丁子、杜仲、当帰、苦参、杏仁、柴胡。
……これで終わりだ」
まるで長い厳粛な告解を終えたように、蒼い瞳が静かに伏せられる。
それからすぐにクリフトは、視線を上げてイーサを見た。
自分の口にした言葉がちゃんと届いたか確かめるような、慎重なまなざしだった。
「さあ、言ってごらん。チャンスは一度きりだ。
君なら出来るはずだよ。太陽の出づる大地を名に持つ子、イーサ」
イーサは顔を強張らせ、長いこと黙っていた。