邂逅のとき


すっかり返す言葉を失い、悔しそうに口をつぐんだ兵士に、くるりと背を向ける。

あたしと弟、そして突然現われた蒼い目の青年の三人は、賑々しくも豊かに栄える世界一の都、エンドールの中心街をそのまま小走りに抜けた。

市場から響きわたる競りの声。

ひっきりなしに行きかう、交易品を乗せた馬車や荷車の列。

旅の商人を目当てに出された屋台の調理台で、ぱちぱち爆ぜる炎の音。

次から次に焼かれる肉に魚、野菜に米の麺、そこから吹き上がる灰色の煙。

エンドール、この街はいつも騒がしい。

まるで騒がしいのが繁栄のあかしであるかのように、そうでないとここでは存在価値を認めてもらえぬかのように、

朝から晩まで音を垂れ流すこの街の住民は、あたしの目には、誰もがいつも必死で騒がしくしているように見えた。

「離しなさいよ!」

大通りを抜け、更に狭い路地を何本か横切り、誰の目も届かない街外れの枯れた畑の跡地まで出る。

ずっと青年に抱えられるように歩いていたあたしは、どんと腕を突き飛ばした。

「いきなりなんなのよ、あんた?

都合よく現われて助けてくれたからって、お礼なんか言わないわよ!

あたしはあのまま死んだって、全然かまわなかったんだから!

そうよ、こんな毎日を送るなら、いっそひと思いに死んだほうが」

「死ぬ、死ぬと軽はずみに口にするのはよくないね」

蒼い目をした青年は、辺りを入念に見回して安全を確かめてから、ゆっくりとあたしへ向き直った。

北方民族らしい白い肌と、夏の空を切り取ったようなサファイア色の瞳。

すんなりと背が高く、まっすぐ伸びた身体の上に、優しそうな顔が乗っている。

柔らかい面差しは、よく見るとまだずいぶん若いみたいだ。

「賢きはこれ即ち危うきを知る、と言う。

あの兵士がもし上官に、城門前で騒ぐ不逞の輩を討てと命じられていれば、あのような威嚇行動すらなく、即座に君たちの胸を槍で貫いていただろう。

彼は彼なりに、君たちをなんとかして助けようとしてくれていたんだよ。

威勢を上げるのもいいけれど、つまらない挑発で命をたやすく危険にさらすような真似はするべきじゃない。

それが憎くて、誇りにかけて許すことの出来ない相手なら、なおさらだ」

言うと彼は自分の肩先を振り返り、小さく顔をしかめた。

あたしははっとした。

萌黄色の衣がすぱっと縦に引き裂かれ、そこから鮮血が滲んでいる。

(槍が……!)

あの兵士が振り上げた槍は、あたしの額を割ったなんて嘘っぱちの出鱈目じゃなく、身をていして庇ってくれた、この青年の身体を本当に傷つけていたんだ。

「ご、ごめんなさい!」

それまで黙っていた弟が、叫び声をあげて青年に飛びついた。

「ごめんなさい、司祭さま。お許し下さい!

聖なる神様の使いにお怪我をさせると、死んでも黄泉の国でたくさん罰を受けるって聞きました!

どうか許して下さい!ぼくは、助けてもらえてすごく嬉しいです。

おねえちゃんも……こんな言い方しか出来ないけど、ほんとうはとっても感謝しているんです!」

「イーサ、余計なことを言うんじゃないわよ!」

かっとなって遮ろうとすると、ふいに青年がその場にしゃがみこんだ。

あたしは驚いて黙った。

衣が汚れるのも気にせずに地に膝を着く人間なんて、この街にはあたしたち路傍の生活者以外にはいないからだ。

さらさらした生地の法衣が土にまみれるのも構わず、長い足を折って腕を置き、弟と目線の高さを同じにすると、さっきと同じように青年はにっこりと笑った。

「イーサって言うのか、君は」

「うん」

「イーサは、古代語で<東>。

万物を照らす太陽の昇り出づる方角のことだよ。よい名だ。

おねえちゃんの名前は」

「フィエサ」

青年は眉をあげた。

「フィエサは<大いなる祝祭>。

すべての神に誕生の感謝を捧げる、聖なる祭のことだ。

君たちは、とても素晴らしい名前をご両親から頂いたんだね」

「どんなに名前がよくたって、それだけじゃお腹はふくれないけどね!

それにあたしは、生まれて一度だってこの世に誕生したことを感謝なんかしてないわ!」

あたしは乱暴に吐き捨てた。

青年は黙って微笑むと、弟のイーサの頭を撫でた。

「イーサ、わたしは司祭じゃない。

もっとずっと下っ端の神官だよ。神官のクリフトだ。

だから怪我をさせても、黄泉の国でなにも罰は下らない。

この怪我は君のせいじゃないし、それに位階を究めた司祭とて単なる人の子、罰が下るもなにもあったものではないが……、これは神学を修める者として、大きな声では言えないけれどね」

クリフトと名乗った蒼い瞳の青年は、肩をすくめてぽつりと呟いた。


「だれも皆同じ、ただの人間だよ」
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