彷徨
「………はっ、俺のために、俺のために、か。
なんのことだかわからねえが、さっきから聞いてりゃ、てめえはずいぶんと思い上がった糞餓鬼だな!」
樵の老夫はせせら笑った。
もどかしさに似た苛立ちが言葉となって喉元で加速し、駄目だと思ったがもう止められない。
「みんな、俺のために生きていただと?餓鬼のくせにたいした自惚れだ。一体何があったのか知らねえが、笑わせるな!
この世の誰が、他人のためだけに全てをかけて生きてられるかってんだ」
突然吹き上がるように胸を焦がす怒りが、忘れたいあの記憶をまたしても鮮明にする。
(……父さん)
脳裏でこだまする声。
(ねえ、父さん……)
ああ、どうしたんだ。俺ぁ一体どうしちまったんだ?
この糞餓鬼はお前じゃないのに。
どうしてこいつがここにいる今、お前のことばかり思い出しちまうんだ?
(俺、守りたいんだ)
(命をかけても守りたいんだ)
(あの人を)
(俺たちと違う世界から来た、あの女の人を)
勝手にすりゃいいだろ。知るもんか。
誰に惚れようが、親がそこまで面倒見きれるかよ。どれだけ、かっこつけたことほざいたって、お前みてえに死んだら全部終いだ。
なあ、偉そうにそこまで言うのなら、俺に教えてくれ。
お前がそれほどまでに守りたかったその恋は、この世に何を残したってんだ?
お前が死んでなお守り続けたその想いは、命と引き換えに、この世界になにを残してくれたんだ?
なあ、息子よ。
お前は、なんのために生きたんだ?
「いいか、よく聞け。誰かが誰かのために生きようと思った時、そいつはもうそうしたいと願う自分のために生きてるんだ。
そうしたい自分が好きなんだ。
だから小僧、てめえが悲劇の主人公ぶって他人のために悲しみにくれるのは、まったくのお門違いってもんさ!」
「黙れ!お前に何がわかる!」
緑の目をした少年はぎりっと唇を噛み、老夫を睨みつけた。
「なにも知らないくせに、わかったような口を聞くな!」
「ああ、知らねえな!」
老夫は怒鳴り返した。
「てめえの抱えた事情なんざ、知るもんか。知りたくもねえ。
だがな、小僧。これだけはわかるぞ。
てめえの言う、てめえのために生きた奴らは、今の無様で情けないてめえを見て、腹の底からがっかりしてるだろうってな!」
少年は跳ねるように立ち、物も言わずに老夫に突進した。
胸と肩を突き飛ばし、拳を固めて殴りつけようとしたが、指が震えて上手くいかない。
腰に手をやったが剣がないことに気づき、一瞬迷ったすきに、横っ面を思い切り張り飛ばされて壁に吹っ飛んだ。
老夫は少年の襟首を掴み、引きずり起こすと、もう一度平手で反対の頬を力任せに張った。
「この大馬鹿野郎、目を醒ましやがれ!」
緑の目をした少年の息が切れ、咳き込んだ口から血が散った。
「いくら俺をぶっ倒そうとしたってな、てめえなんざに負けねえ。
もう死んでもいいなんて思ってやがる糞餓鬼に、俺ぁ絶対に負けねえ。
小僧、てめえはなんのために生きてるんだ、ああ?
飯も食えねえほど弱っちまって、それでほんとにてめえのために生きた奴らに、詫びてえと思ってやがるのか!」
「離せ、糞爺!」
少年は激しく身をよじったが、樵の老夫の腕はびくともしなかった。
「いいか、小僧。人なんてな、簡単に死んじまうんだ」
老夫の声が震えた。
「どんなに希望に満ちてたって、苦しいくらい叶えたい望みがあったって、
一発の雷でぴしゃん、炭みたいに黒焦げになってあっけなく死んじまうんだ。
だったらどうなんだ?生きることに意味なんかあるのか?
生きてて俺たちに一体なにが出来るんだ?
その答えを見つけるのはな、他の誰でもない、てめえ自身でしかねえんだよ!
てめえの命には、てめえしか責任持てねえんだ!」
身体を揺さぶると、緑の目をした少年の喉から、硝子を引っかくような呻き声が漏れた。
「いいか、死ぬんじゃねえ。死にたいなんて思うんじゃねえ。生きろ。小僧!
てめえが貰った命は、てめえ自身で責任を取れ!
なにがあっても、死んで払いを放り出そうなんて思うな!最期まできっちり使い切れ!
汚れても、汚れても、泥の中を這いつくばってでも生きろ!」
少年が声を上げてもがいた。
老夫はしわがれ声で笑った。
「心配すんじゃねえ、小僧。ここに俺がいる。
何の因果か解らねえが、俺ぁもうてめえを拾っちまったんだ。行くところがねえんなら、ここにいろ。いつまでだっていい。
ただし、やらなきゃならねえことがあるんなら、逃げないでちゃんと片づけて来い。
俺ぁ、待っててやる。
くそまずいシチューしか作れねえが、てめえのことを、いつだって待っててやるからよ!」
首を掴んでいた老夫の手が離れると、少年の目から涙があふれた。
「馬鹿野郎が、泣くな!情けねえ。男だろうが!
一人前の男になりてえなら、泣くな!」
少年は腕で瞼をこすって、頷いた。
嗚咽を洩らしながら、何度も何度も頷いた。
「……仕方ねえな。泣け。
その代わり、明日からは二度と泣くんじゃねえぞ。
……なあ、よく、踏ん張ったな。
ここまでこらえたな。
生きててよかったな、この馬鹿野郎」
わかってる
わかってるんだ
ほんとうは
わかってるんだ
俺のためにごめん
ありがとう
ちゃんと生きるから
見ててくれ
俺は ちゃんと生きるから