彷徨
それからの緑の目の少年は、つい先ほどまで剥き出していた狼の牙が根元から抜け落ちてしまったように、突然ぴたりと大人しくなった。
まるで意思のない人形のように、樵の老夫に言われたとおりに浴室に行き、言われたとおりに湯浴みし、言われたとおりに服を着替える。
そして、言われたとおり黙ってテーブルについて、出された食事を口に運び、
そこで初めて表情を歪めた。
口を押さえて、どこか吐き出すところはないかと辺りを見回し、老夫と目が合うと、こめかみをひくつかせながら苦しげに飲み下す。
「どうだ、うめえだろう。採りたての茸たっぷりのシチューさ。たんと精がつくぜ」
「腐ってる」
老夫は呆気に取られて、瞳に涙を浮かべた少年を見た。
「ば……馬鹿言ってんじゃねえや、この糞餓鬼!
これはついさっき作ったばかりだ!味見も嫌ってくらいした」
「味がなにもしない。酸っぱい匂いだけがする」
少年は急いで手元の杯に注がれた茶を飲み、再びうっと手で口を押さえた。
「これもだ」
「こ、この馬鹿野郎が……!貸してみやがれ!」
老夫は少年の手から杯を奪い取り、中身をぐっと飲み干した。
「なんにもおかしなところのねえ、ただの茶じゃねえか!
てめえ、なにをわけのわからねえ難くせを……」
だが老夫の言葉は、それ以上続かなかった。
口を押さえた緑の目の少年の手が、壊れた時計の針のようにぶるぶると小刻みに揺れている。
指の間から、琥珀色の茶がつうとしたたり落ちた。
「その手……。眠ってる時から気になってたが、てめえ、震えが止まらねえのか。
もしかして、味覚もいかれちまってるんじゃねえのか?」
少年は乱暴に手の甲で口を拭うと、黙って立ち上がり、扉を開けて部屋を出て行こうとした。
「待て!」
樵の老夫は叫んだ。
「小僧。てめえ、本当にただの逃亡奴隷か?
あのずたずたの魔物といい、そんな細っこい腕で、一体どうやってそれだけの剣技を身につけた?
……てめえに、そこまでぼろぼろになっちまうほどの何があったっていうんだ?」
「何もない」
緑の目をした少年は振り向かずに言った。
「俺には何もない。
俺には何も起きなかった。
俺は、すり傷ひとつ負わなかった。
俺は……俺だけは、何もなかったんだ!」
叫んで走り去ろうとした瞬間、みぞおちになにかの塊がどうと飛び込んで来る。
緑の目をした少年は驚いて呻き、勢いよく後ろにひっくり返った。
後頭部を床に打ちつけ、痛みに視界が揺れた瞬間、胸の上に熱いなにかが飛び乗る。
はっ、はっ、と荒い息遣いが耳の横で弾けて、頬を生温かいものが何度も行き来した。
「待て、シイ!」
老夫の手を広げて止める仕草に、少年はそれが犬だと気がついた。