彷徨
「いいか、生意気な小僧。てめえは俺に拾われたんだ!
三日前、てめえは麓の草やぶの中で、血だらけでぼろくずみたいに無様に倒れてやがった。
着ていた服は洗った。懐に入ってたもんも全部預かった。これ以上ないほど汚れてたんだ、文句なんざ言われる筋合いはねえ」
たたでさえ弱っているうえに、孫といってもおかしくないような年若い子供を、いきなり怒鳴りつけるのはさすがにまずい。
なんとか怒りを踏みとどめ、思い直したように樵の老夫は声の勢いを落としたが、緑の目をした少年は刃物のような視線をまったく緩めようとしなかった。
底なしの、暗い穴ぼこみたいなうつろな目。やはり逃げて来た奴隷なのだ。
指を出せば即座に噛みつく、手負いの獣みたいに毛を逆立てやがって、一体どんな目に遭わされたっていうんだ?
逃亡奴隷をかくまえば、自らも重い罪に問われることは解っていたが、だからと言ってこんな目をした子供をこのまま放っておくことなど、自分に到底出来るはずもなかった。
「服は今朝まで水に浸けておいた。洗ったばかりで乾くにはもう少しかかる。
今、飯も作ってる。急ぐ用件がねえんなら今日も泊まって行きやがれ。
遠慮することはねえ。死にかけのドブネズミみたいな顔しやがって、どうせ行くところもないんだろう」
「……服は、どうでもいい。俺の持ってた物のことだ」
「胸の隠しに入ってた、あのうす汚ねえ羽根帽子のことか」
言葉に反応して、少年が一瞬ぐらりと身体を揺らしたのを、老夫は見逃さなかった。
今、跳びかかろうとした。
暴力的な怒りを唇を噛んでこらえた少年は目を逸らし、「頼むから、返してくれ。今すぐ」と、打って変わったように小さな声で言った。
「まあ待て。女物の帽子なら、てめえが被るもんじゃなかろうと洗わずそのままにしてある。
だが剣はたまげるくらい血だらけだったんでな、よく拭いて研がせてもらった。
心配するな、こちとら竜の首をも吹き飛ばす鋼の斧を手とも足とも生きて来た樵よ。剣の扱いくらい知ってらあ。
きちんと鞘から出して研ぎ石にかけ、錆びないように油を塗った。……それより」
樵の老夫はわずかに迷ってから、尋ねた。
「あれ、てめえがやりやがったのか」
なにをだ、と緑の目の少年は聞き返さなかった。
目茶苦茶に貫かれ、無残な轢死体のように潰れて崩れた哀れな魔物の残骸。
「……多分」
「多分ってな、何だ」
「よく覚えてない」
不意に少年の声がおぼつかなくなり、幼い子供に戻ったように頼りなくなった。
「突然目の前が真っ白になって、なにがなんだかわからなくなって、気がついたらああなってた。
だから多分、俺がやったんだろう」
「なんと、ひでえもんだ」
樵の老夫は大きく吐息をついた。
「いくら化け物といえども、天から授かったありがてえ命ってものがあろうによ。
剣の腕に覚えがあるなら、なにもあんなむごたらしい殺し方をしなくてもよかったんじゃねえのか。
あの返り血、てめえ、化け物が死んだ後も動かない身体をひたすら剣で刺しやがったんだ」
緑の目をした少年は返事をせず、無感動な目で樵の老夫を見つめた。
もしもその天から授かったありがたい命とやらに自分の大切な者を殺されても、果たしてそう言えるのかどうか、こんな老いぼれに聞き返すだけ時間の無駄だ。
突然押し黙った少年に老夫は困惑したが、緑の瞳から鋭さが消えたのにひとまず安堵し、
「飯が出来たら呼ぶ。起き上がる元気があるんなら、とっとと箪笥の中身を元通りに片づけやがれ。
……それから、泥棒呼ばわりして済まなかったな」と言い、部屋を出て行った。
少年はじっとその場に立ち尽くしたまま、長い時間動かなかった。