彷徨
その日、山奥の小屋に一人きりで住む樵の老夫は、一日分の労働を終えて荒れた山道を家へと戻っていた。
樵の仕事は、木を切ることだ。ブランカに程近い伐採場で切り出した木材を荷車に積んで、麓の王家直轄の資材市に売る。小さな木ぎれは五十本ずつ麻縄で縛って、薪としてこれも売る。
年を重ねるごとに、老いを認めたくないかのように自分自身へ与える課題に意固地になった。
たとえどんなに疲れていても、昨日と同じだけの仕事をこなさなければ、まるで喉に小骨が引っ掛かったようにすっきりしない。
西日が山の尾根を橙色に滲ませる家路のさなか、疲れた足を引きずって歩いていた老夫は、漂う異臭にふと眉を上げた。
むっと鼻をつく血の匂い。
獣道の脇の草むらに、少年とおぼしき姿が血まみれで倒れている。
最近なぜか頻繁に現れるようになった魔物に、森に迷い込んだ子供がやられたかと、老夫は思わずぞっとした。
だが駆け寄って抱えあげると、少年の体は温かく、胸は規則的に上下しており、衣服から出た手足はひどく汚れていたが無傷で、乾いた血は彼のものではないようだった。
西の砂漠からエンドールに売られる奴隷少年が、移送途中に何人か殺して逃亡して来たか。
目を閉じた血の気のない顔は、まだ幼さが残るが随分と美しく、髪もここらの人間には見ない変わった色をしている。
だが老夫は少年の美麗な髪や顔ではなく、力をなくして地にだらりと垂れたその手から目を逸らすことが出来なかった。
(関節下の握り癖に、長い指……、長時間ナイフを握る木彫り作りの手だ。似てるな。
まだあいつが15、6だった頃、同じような手をしてやがった)
目を閉じたまま微動だにしない少年の青白い頬に視線を戻し、樵の老夫は苦笑して首を振った。
(いやさ、お笑いだ。手の格好は似てても、こんなお綺麗な御面相じゃなかったや、あの大馬鹿野郎は)
少年の倒れていたすぐそばに転がっている、無残に裂かれた魔物の死骸を一瞥すると、老夫は少年の手の横にある剣を見た。
刃じゅう血でべっとりで、鍔まで赤銅色に染まっている。
よほど深く刺しこんでは引き抜き、また刺しては抜き、何度も何度もそれを繰り返したのだ。
伝説の狂戦士バーサーカーじゃあるまいし、こんな女のような顔をした子供には、どう考えても無理だ。
一瞬頭に浮かんだ想像を消し去ると、老夫は糸の切れた操り人形のように力を失った少年の体を背に抱え、山道を歩き始めた。