あの日出会ったあの勇者
「子供が炭鉱で働かされると、肺病になって死んでしまう。環境の悪い仕事場はいつでも人手が足りない。働き手がどんどん死んじゃうからだ。
船に乗せられて、仕事がきつくて有名なアッテムトの鉱山なんかに連れて行かれたら最悪だよ。売られた子供は逃げ出さないよう鎖で縛られて、背中に焼きごてを押されて奴隷扱いされる。
だからぼくたち、孤児院でも人売りだけには当たりたくないって言ってた。でもわいろを握らされた職員が、人売りだってわかっててどんどん子供を引き取らせちゃう。自分が明日、どこでどんな仕事をさせられるのかもわかりゃしないんだ。
ここで働くことが出来て、ぼくはついてる。さっき、事務長と君たちが話しているのが聞こえたよ。運は神様のお目こぼしなんでしょ。
だったら家は燃えちゃったけど、神様はまだ、少しくらいはぼくにお目をかけて下さっているってことかな。みめぐみに御恩返しできるように、これからも一生懸命働かなくちゃ。
君にも、いい仕事が見つかるよう祈ってるよ」
子供がもう一度にこっと笑った瞬間、背中に冷たい芯棒を突っ込まれたような寒気が走り、ライはよろめくように後ずさった。
なんてことだ。
なんてことだ。
(俺は、馬鹿だ……!大馬鹿だ!)
母さんと喧嘩して、雨降りのなか飛びだして、街角で緑の目の若者に出会った時、俺はなんて言った?
(お願いだよ。俺も一緒に連れて行ってくれないか。今すぐ働きたいんだ。なんでもやる)
警備隊長のスティルに通っている初等学校はどうするのだと問いただされた時、俺はなんて言った?
(や、辞めます。学校へは行くのはもうやめて、これからは働いて自分の力で暮らして行く)
身体じゅうに無数の傷がある、正体不明の美しい若者は、なんのために働いていると言った?
(俺には守らなければならないものがある。だから仕事をする)
守らなければならないもの。
それが共に暮らす家族でもなく、愛する誰かでもなく、小さな体に収められた、生まれて十年足らずの自分の命だという現実。
古い書物の中の残酷な童話のようなその事実は、ライが今日まで暮らして来たこのブランカという国で、だか確かに存在しているのだ。
膝に急激に力が入らなくなって、ライはもたれるものを探してあたりを見渡した。
顔をあげると、視線の先に手のひらが差しのべられていた。緑色の瞳をした若者が、ふらつくライを支えるように腕を掴んでいた。広くて、温かな手だ。かすかに漂う芳香は木のかおりだろうか。
とたんに足の震えがおさまり、冷えた背中が温かみを取り戻した。
「……あんた、だから俺をここに連れて来たのか?」
ライは体を支えられたまま、若者を睨んだ。
「最初から、そのつもりだったんだな。のぼせあがった家出子供に説教を食らわせるより、ここに連れてくるのが一番話が早いと思ったんだろ」
「なんのことだ」
「俺に……俺に、知らせるために。わからせるために」
「なにを」
俺がどんなに世の中を知らない、驕り高ぶったわがままな糞餓鬼なのかを、だ……!
ライが唇を噛んで顔をそむけると、緑の目の若者は相変わらずの感情の滲まない声で答えた。
「お前は仕事を探していると言った。俺はギルドに出入りできる。だからここへ連れて来た。
お前がどう思おうが勝手だが、それ以上でもそれ以下でもない。余計な詮索をする暇があったら、さっさと自分の目的を果たせ。それとも、用件はこれで済んだのか?
だったら俺はもう帰るぞ。何度も言った。里で連れが待ってるんだ」
「待ってくれ」
ライは急いで言った。
「ここは……もう、いいよ。だけどあとひとつだけ、あんたに連れて行って欲しいところがある」
緑の目の若者の眉がかすかに動いた。
「どこだ」
「一度も行ったことがないから、詳しい場所はわからないけど……、一番街の大橋を渡ってまた向こうの街工場地区だ。
一番街は坂ばかりで、ここからだとけっこう遠いから」
ライは言い淀んだ。
「歩くと……、疲れるかもしれないけど」
そうだ、一番街は遠いんだ。
遠いと、歩くのに疲れる。それを毎朝、毎晩往復。辿り着いたら即仕事。毎日が同じことの繰り返し。日が暮れて一日が終わり、次の朝が来たらまた、同じ手順の労働が待ち受けている。
一度も見たことがなかったから、考えもしなかった。目に映る物を物差しにしてしか、考えようともしなかった。
あの人は、どんなふうに働いているのか。自分は一体、あの人にどんなふうにして守られているのか。
「そこに、どうしても行きたいのか」
「うん」
ライが頷くと、緑の目の若者は「わかった」とひとことだけ言い、出入り口の扉へ向かって歩き出した。
あまりの即答に、今度はライの方が驚いてためらう番だった。
「で、でも、いいのかよ。ここから遠いんだぞ。今から向かうと日が暮れて、帰りが遅くなっちゃうぞ。
あんたの大事な女の人、家で心配して待ってるんだろ」
緑の目の若者はちらりとライを見た。
「お前はいつも、自分で言い出しておいて迷うんだな。行くのか、行かないのか。どっちなんだ」
「い、行く。行くよ!行くけどさ……」
「だったら、四の五の言うな」
「お、俺はあんたのことを心配して言ってやってるんだぞ!」
「余計な世話だ。自分の面倒は自分で見られる。……それに」
緑の目の若者の、美しいが表情に乏しい口元が、ゆるやかにほほえみの形を描いた。
「工場にはこれまで一度も行ったことがない。
どんなところなのか、俺も見てみたい」