彷徨
はっと我に返ると、濡れた剣を握りしめたまま、その場にぺたりと座り込んでいた。
こめかみからどろりと何かが流れ落ちて口に入り、鉄錆くさい不快な苦さに血だと解る。
体のどこにも痛みがなにひとつないことが、これは返り血なのだと教えてくれ、緑の目をした少年はぼんやりと周囲に視線をやって、気付いた。
さっきまで魔物だったはずの物体が、地に崩れ落ちている。
熟れすぎて腐った果実のようにほとんど原形をとどめない、巨大な赤黒色の塊。一体何十回刺したら、ああなるのだろう。
服までべっとりと血にまみれ、昏倒したように記憶がぷつりと途切れていることを知ったとたん、少年の指の間から剣がすべり落ちた。
緑の目をした少年の両手は毒を食らって死にゆく野良犬のように、小刻みに震え始めた。
初めて殺した。
暖かな木洩れ日に覆われた郷里の村で、師範に着いて幼い頃から磨いてきた剣技。
いつか大切なものを護るため振るうのだと信じていたそれは、表層意識の向こうで暴れる狂気に、まるで釣り糸にぶら下がる餌のようにたやすく操られてしまった。
血に濡れた衣服が身体に張り付いて気持ちが悪くて、散々叫んだ喉がひりつくように渇く。
胸をねじりあげる恐怖。
(だけど)
心とは反対に、奇妙な力を得て高まる心臓の音を聞くと、緑の目をした少年のひび割れた唇は知らず知らずのうちに微笑んだ。
だけどどうして、無我夢中の狂った怒りに身を任せることは、こんなにも心地よいのだろう?
(お前の痛みを知らせてやる)
左胸に手をやり、中に押し込んだ汚れた羽根帽子を触る。
持ち主の香りをまだとどめた柔らかな感触は、空っぽの少年の心に生温かい生気を吹き込んだ。
(お前の苦しみを思い知らせてやる。
何万倍にして返してやるから、泣かないでそこで見てろ)
緑の目をした少年は立ち上がろうとして、足を滑らせて転んだ。
血だまりに倒れ込み、赤い飛沫だらけの汚れた顔を手の甲で拭うと剣を掴もうとしたが、震えが止まらない指はまったく言う事を聞かない。
たったひとつの武器が握れない驚きに呼吸が乱れ、少年の喉がひゅうと鳴ったその時、
(そんなこといいから、あなたもこっちへおいでよ)
とろけるような甘い声が、血の匂いに混じって鼻孔をくすぐったく撫でた。
(ずるいよ、自分ひとりだけ)
(わたしたちはいつでも、どんなときでも一緒だって、ゆびきりげんまんしたでしょ?)
(なのにどうして、自分だけ図々しく生き残って)
(みんな、痛くて苦しくて、こわかったんだよ)
(泣きながら逃げ回ったんだよ)
「う、あ、あ……」
呻いて首を振る少年の体から、冷たい汗が噴き出した。
「ごめん。
ごめん、ごめん……!
シンシア、母さん、父さん……みんな、
許してくれ、許………!」
(あなたのせいで、わたしの体はもうない)
(あなたのせいで、わたしはもうなにもない)
「うわあああ!」
恐慌に囚われて叫び、がくりと首を折った少年の瞳から涙があふれる。
幻影の少女はにっこり笑うと、微笑みが端からずるりと崩れ、身体が砂のように闇になだれ落ちた。
(ねえ、自分のせいで大切な人みんなが死ぬって、どんな気持ち?
教えてよ、あなたは特別なんでしょ?ねえ、
ユ ウ シャ サ マ … … …?)