星の奇跡



「魔物だ!魔物についにこの村が見つかった!


皆、武器を持て!戦うんだ!」


耳から瞳に繋がる神経に、痺れるような電流が突き抜ける。

それと同時に、限りなく懐かしいあの声が、残響となってはっきりと全身を包むのにも。


(さあ、今よ)


わたしははっと空を見上げた。


(……お母さん?)

(星の奇跡を守るの)

(今がその時。わたしの愛しい薔薇、シンシア)

(わたしたちは大地の番人。星の恵みを守る者。

星から授かった命を、この世界のために役立てる時が必ずやって来る)


(今なの?)

わたしは声なき声で叫んだ。


(やっとひとつになれたのに。ふたりの心を確かめ合えたのに。


ずっと一緒だって誓ったばかりなのに、今なの?)


「魔物……なんのことだ?」

緑の目の男の子は首を傾げた。

「キクリが悪戯でもしたか?まさかお前、またモシャスを使ったんじゃないだろうな」

「う、ううん」

「行こう。料理が冷めたら、母さんにがみがみ言われちまう」

男の子は笑ってわたしの手を引いた。

「飯、一緒に食べような。シンシア」

わたしは唇を持ち上げて、頷こうとした。

だがそれよりも早く、切迫した叫びと荒々しい足音の渦が、あっという間にわたしたちふたりを取り囲んだ。

「探したぞ、坊主!ここにいたか!シンシアも!」

「ガラハド爺さん」

男の子は驚いて、自分の周りに集まった村人達を見回した。

「みんなも。……なんだ?一体」

「坊主を地下倉庫へ!急げ!一番奥の酒庫だ。

掛け金を掛けたら、扉の前には決して立つな。皆、村の中で散らばって戦え。

出来る限り時間を稼いで、坊主がもうここにはいないように思わせるんだ!」

ガラハドは男の子の問いかけを全く無視すると、素早く指示を下し、集まって来た皆が武器を携えているかを、ひとりひとり子細に確認した。

燃えるような瞳は、昨夜わたしに「命と魂は別だよ」と語ってくれた時とは、もう全く違っていた。

彼は自ら打った剣を天に向けて振り上げ、くるりと柄を回転させると刃を胸に突き付けた。

そしてかっと目を見開き、喉も枯れよと叫んだ。

「禁忌の子を生んだ天空と大地の罪びとに裁きを下せし竜の神よ、ご照覧あれ!

今、この時こそがさだめの時だ!

わしらは誓いを守らねばならん!

神命にて託され育てた、天と人の血を受けし勇者を、この命を捨てて守る!」

おおお、という地割れのような唸り声。

天に突き上げられ、次々に翻っては自らに向けられる銀色の刃の雨。

必ず来るこの時のために、幾度となく確かめて来た誓いの、最後の儀式だったのだろう。

慌てふためく者も、恐怖におののき取り乱す者も、誰ひとりいなかった。

村人たちは微笑みさえ浮かべて、ある者は剣を、またある者は槍を構えると、各々が敵を迎え打つと定めた場所へ、静かに歩み去った。

残った男数人が、男の子の身体を後ろからがっとはがいじめにする。


その瞬間、繋いでいた手が、離れた。


「なんだ?止めろ」

男の子は腕を振り放そうともがいた。

「離せよ。離せ。なんだよ!」

「静かにしろ!男がみっともなく騒ぐんじゃない」

男の子は呆然と後ろを振り返った。

「師範!」

「まったく、相変わらずの馬鹿力だな。だがお前の動きには、まだまだ無駄が多すぎる。

いつも言ったろう?真に強い者とは、身の内の一分の力しか使うことがないのだと。

力ではなく、身体のばねを使って瞬発力で動け。自分自身を戦う翼だと知れ」

男の子の両腋に手を入れ、動けないようにしっかりと身体を押さえているのは、初めて剣を握った子供の頃から欠かさず彼を指南し続けた、剣術の師範だった。

ようやく話の解る相手を見つけたように、男の子の顔が緩んだ。

「頼む、離してくれよ。急に驚かせないでくれ。新しい稽古なのか、これは?」

「稽古はもう終わりだ」

師範は笑った。

「わたしから教えられることは、全てお前の中に叩き込んである。

願わくば仕上げをする時間があと少し欲しかったが、なあに、ここまで育てば大丈夫さ。

だから、これがわたしからの最後の教えだ」

師範は男の子の名前を呼んだ。


「いいか、生きろ。


強く生きろ。


どんな時も決して自分に負けるな。お前なら必ずそれが出来る。

お前はわたしが注いだ水を余さず吸い込み、さらなる滋養と昇華してくれる、素晴らしい大樹の苗だった。

お前に剣を教えることが出来て、嬉しかったよ」

師範の目が潤むと、男の子の顔からゆっくりと笑みが消えた。

「師範……?」

「さあ、早く連れて行け!時間がないぞ!」

「待っておくれ!」

そのとき、激しく息を切らしながらふたつの影が駆けて来て、皆の前にまろび出た。

花の上に倒れ込んだ影を、もうひとつの影が支えるように抱え起こす。

正体を認めたとたん、振り上げられていた男の子の腕が下がった。

「母さん。

……父さん」

「ああ、坊や!」

男の子の母親は息子に飛び付くと、震える両手で頬を挟んだ。

「坊や、坊や!どうして急にこんなことに……!

早過ぎる!あんまり早過ぎるよ!あたしの坊やはまだ、こんなに小さいのに!」

「エレッタ」

父親が険しい口調で言った。

「この村の人間が、これまでどれだけ誓いを繰り返して来たと思ってる。

今さら動じるな。時間がないんだ」

「そんなことわかってるさ!」

母親は叫ぶと口をつぐみ、男の子の顔を食い入るように見つめた。

目に映るすべてを心に刻み込もうとするような、痛切な瞳だった。

「……坊や」

伸ばした手が、そっと男の子の唇に触った。

「坊や。坊や」

頬を撫で、顎を撫で、男の子の顔のひとつひとつを、確かめるように触った。

「愛してる」

目も鼻も、耳朶もうなじも、まるで赤子に触れるようにいとおしげにゆっくりと撫でた。

「強く、正しく生きるんだよ。

そしてどうしても辛い時は、泣いたっていい。

我慢なんてしなくていいんだ。

泣いて、笑って、怒って、また笑う。

それが人間なんだ。

お前は人間だよ。この世でたったひとりの、大切なあたしの息子だ」

まなじりを柔らかく細めると、母親はようやく微笑んだ。

「17歳の誕生日おめでとう。

これでお前も一人前の大人だね」

男の子が唇を開き、なにかを言おうとしかけた。

「母さ……」

「静かに。聞いてくれ」

けれどそれを遮ったのは、父親の低い声だった。

「こうして今、こんな形でしか真実を告げることが出来ないのを、とても悔しく思う。

わたしたちはお前が17を過ぎたら、全てをきちんと話すつもりだったんだ。

だがもう、時間がない」

父親は、長いあいだ共に過ごしたのだとはっきり解る、よく似た平淡な声音で息子の名を呼んだ。

「今まで黙っていたが、わたしたちはお前の本当の親ではない。

お前は勇者だ。

人と天空の混じりし稀有なる血を持つ、神に選ばれた勇者なんだ。

お前には秘められた力がある。いつの日か、どんな邪悪なものでも倒せるほど強くなるだろう。

だが今のお前はまだ弱い。広い世界の理もなにひとつ知らぬ、無垢な光の繭玉だ。

生きろ。そして戦え。なにものにも負けないよう、強くなるんだ」

「戦わなくたっていい!」

男の子の母親が、声を詰まらせて叫んだ。

「強くなんかなくたっていいんだよ、坊や!

あたしは、あたしはお前さえいてくれたら……!」

ガラハドがさっと師範に目配せした。

師範は頷き、男の子を組み捕らえたまま、引きずるようにして歩き始めた。

母親が両手で顔を覆ってその場にくずおれると、男の子の目が見開かれ、まるで水底に潜って浮き上がって来た者のように、大きく唇が開いた。


「……母さん!母さん!


母さん!!」
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