星の奇跡
透き通る金色の光が瞼をくぐり抜けて、訪れた朝を教えてくれる。
しっとりした土の匂いと、朝露に浸された花の匂い。
そして、傍らで眠る男の子の、渇いた汗の甘やかな匂い。
(おはよ、シンシア)
幼い頃必ず先に起きて、嬉しそうにこちらを見ていた男の子は、今朝はまだ目覚めず、朝陽の下でぐっすりと眠っていた。
誰よりも安らいだ寝顔で。
自分を「異端」だと理解している彼が、常に張りめぐらせている孤独の糸がほどけ、唇に満ち足りたほほえみを浮かべて、眠る横顔はとてもしあわせそうだった。
ずっと、ずっと見ていたい。
でも朝は来てしまった。
ひたいにくちづけると、男の子はぴくりと頬を震わせた。
長い睫毛が揺れて、ゆっくりと瞼が開かれる。
緑色の瞳がぼんやりとわたしを見、それから朝の空へ移り、記憶をたぐりよせると彼はもう一度わたしへ顔を向けた。
そして幼なかったあの頃と同じように唇を持ち上げ、黙ってにこりと笑った。
「おはよう」
わたしは囁いた。
「朝だよ」
「うん」
緑の目の男の子は子供っぽく頷いて、わたしを見つめた。
「……もう、どこも痛くないか?」
「大丈夫だよ。あなたは?」
「久し振りに土の上で眠ったから、なんだか変な感じだ。
髪が湿っぽくて、体じゅう濡れてるような気がする」
「大地に洗われたのよ」
わたしは男の子の髪に手を入れ、いとおしさを込めてかきあげた。
「眠りの精が降りて来て、あなたの心をきれいにからっぽにしてくれたの」
「からっぽ、……か」
男の子は繰り返して、ふと自分の肩先に鼻を寄せた。
しばらくそのままじっとしてから、くすぐったそうに顔をしかめる。
「からっぽって言うより、いっぱいって感じだ。体のどこもかしこも、お前の匂いがする。
俺の中身が、お前でいっぱいになってる感じがする」
「そうなの?」
わたしは首をかしげた。
「あなたがわたしに入って来たんだから、わたしの中身があなたでいっぱいになるんじゃないの?
ふたりがふたりとも、お互いでいっぱいになるの?それっていいことなのかな?」
男の子は目を見開くと、顔を赤らめてさっと反対側を向いた。
「そういうこと、聞くなよ」
「どうして?」
「どうしてって、その……」
むこうを向く男の子の耳朶が、みるみる赤くなった。
「わ、悪いことじゃないんじゃないのか」
「そっか」
わたしは笑って頷いた。
「じゃあこれからも、何回だってこうしようね。
好きだって思うそのたびに、わたしたちはずっとひとつなんだって確かめようね」
すると男の子はこちらを振り返って、なんとも言えない表情でわたしを見た。
初めて食べる果実の、あまりに甘すぎる味わいに、どうしていいかわからず戸惑っているような顔だった。
「そうだ、忘れてた」
わたしははっと思い出して叫んだ。
「た、大変!わたし、あなたが来てくれた時に、びっくりして放り投げちゃったんだわ」
「なにをだよ」
「ピアスよ!……あっ」
わたしは急いで口を押さえたが、遅かった。
「ピアス?」
男の子は眉をひそめると、自分の耳に手をやった。
小さな水晶が嵌め込まれた金色の針が、薄くて形の整った耳朶に刺してある。
「ちゃんとついてるぞ」
「違うの、それじゃなくて」
わたしは地面に座り込んで、両手で花の咲き誇る地面を懸命に探った。
すると幸いなことに、ひんやりと冷たさをたたえた小さな石がふたつ、すぐにかちんと指にぶつかった。
「あ、あったわ……。よかった……」
「なんだよ。なにが」
「待って、これだよ……はい、あげる!」
わたしは瞳を輝かせて、訝しげな男の子の目の前に、ピアスを乗せた手を突き出した。
「17歳の誕生日おめでとう!プレゼントよ。わたしが作ったの」
男の子はきょとんとしてわたしを見た。
掌で光る青い石に目を落とし、わたしと何度も交互に見比べる。
「……お前が?」
「うん」
「これを?」
「そうだよ」
「ひとりで?」
「だから、そうだってば」
「ジャガイモひとつ茹でることすら、まともに出来ないお前が」
「もう!」
わたしは怒って言った。
「一生懸命作ったのになによ!もっとほかに言うことはないの?」
「……ありがとう」
男の子はおずおずとピアスを手に取った。
「ブルーサファイアだ。<空の涙>。
本当に空が泣いてるみたいな、すごく濃い青だ」
「翡翠の瞳をしたあなたに、とってもよく似合うと思って」
男の子はわたしが作ったピアスを、指でつまんで持ち上げた。
「ブルーサファイアは<痛みを引き受けるもの>。
誇り高くだが決して野望を持たない、正義と守護の剣のあるじ。
誰かの代わりとなって戦い、その苦しみと悲しみを負え、という意味があるんだ」
「えっ」
わたしは顔をこわばらせた。
「じ、じゃあ」
「そうだな。あまり人にプレゼントする種類の石じゃない」
「でも、ガラハドさんはなにも言ってなかったよ!」
「鋳造に命を賭けてるあの爺さんが、石の持つ意味まで理解してるかよ」
男の子は笑った。
「大丈夫だ。それ以外にも知性とか秘めた優しさだとか、いろんな意味がある。
……それに」
男の子はわたしの頬に手をやり、指先で瞼に触れた。
「赤いサファイアはなんて呼ばれるのか知ってるか、シンシア」
「知らない……サファイアに、赤い色なんてあるの」
「ルビーだ。サファイアとルビーはもともと同じものなんだ」
男の子は微笑んだ。
初めて見る、しなやかな強さに満ちた笑顔だった。
両耳から水晶の針を外して、わたしが作った青い石を丁寧に嵌める。
「ずっと大切にする。今日からお前の涙は俺のだ。
だからこれからはもう泣くな。お前は絶対、俺が泣かせたりしない」
「……うん」
頷いた先から、涙があふれてしまいそうになる。
わたしは無理矢理笑って、男の子の胸に抱きつくとぎゅっと顔をすり寄せた。
「シンシア、ま、待て」
「なあに?」
「もう朝だし……人が見てるかもしれない」
「いいよ、見られても」
わたしは言った。
「わたしがあなたを好きなことなんて、この村じゅうのみんなが知ってるもの。あなたがわたしのことを好きなのも。
あなた、いつもわたしに見とれてたんでしょう?
母さんもガラハドさんも剣の先生もみんな、みーんな知ってるんだよ!」
「な……」
男の子の顔が真っ赤になった。
「だ、誰が見とれてなんか……」
「ほら、行こうよ。母さんがごちそうを作って待ってるよ。あなたの誕生日をお祝いするために。
甘いお菓子をたくさん焼いて、あなたを喜ばせようって待ってるんだから!
ピアスを換えてあなたが素敵になったから、今日はわたしもおしゃれをするわ」
わたしは男の子の母親にもらった白い羽根帽子を取り出して、頭に乗せた。
「どうかな?」
男の子は顔を赤らめたまま、不機嫌そうに目を逸らした。
「……だから、前も言ったろ。悪くない」
「もう!悪くないじゃ全然わからないよ。可愛いか可愛くないか、ちゃんとあなたの言葉で言って」
「可愛い!」
叫ぶと、男の子はぷいと背中を向けてしまった。
「ほら、行くぞ」
声と同時に伸びて来る腕。
差し出された手を握り締めると、昨日身体全部で感じた彼の温もりが伝わって、めまいがするような幸福に、わたしは思わずまた、いつもの言葉を口にしようとした。
(ねえ、わたしたち、
わたしたち、ずうっとこのままでいられたら………)
その時だった。
黄金色の朝のしじまを破る鋭い叫びが、村じゅうに響き渡った。
「た……大変だ!!魔物に、魔物についにこの村が見つかった!!
攻めて来るぞ!皆、戦いの準備を!」
男の子は振り返って、戸惑ったようにわたしを見た。