あの日出会ったあの勇者
「……」
口髭の男がほほえんでいる。老婆が耳を真っ赤にして舌打ちしている。
そして自分のすぐ傍らで、今日会ったばかりの正体不明の緑の目の若者が、両腕を胸の前で組んで黙ってこちらを見つめている。
ライの中であるひとつの答えが、形を持って単語になろうとしていた。ここは商工業ギルド。みんなが仕事を探す場所。
そこには、仕事の数と同じだけの理由がある。人生がある。働かなくてはならない者がいる。
それは、大切な誰かを守るため。
すこしでも安心できる明日を、未来を、大切な誰かと共に生きていくため。
部屋の奥の書棚のそばの机で、ライと同じくらいの年齢の子供が、機械的な動作で書類に蜜蝋を押している。
自分でも理由のわからぬままに、ライはそろそろと近寄って行った。子供がけげんそうに顔をあげると、はっとして思わず息を飲む。
幼い顔の左半分が、青紫色をした大きなやけどのあとで覆われていた。
「こんにちは」
驚かれることに慣れているのか、子供はとくに動じる様子もなくライに向かってにこりと会釈した。
「きみも、孤児院からここへ来たんですか?」
「孤児院……?」
「ああ、違うんですか」
子供はほほえんだ。
「だったらごめんなさい。事務長が、もうすぐぼく以外にも新しい小間使いを雇うかもしれないって言っていたから、てっきりきみのことかと。
事務長って、あの髭の男の人です。ブランカ城下街の孤児院の子供たちを、ギルドで雑用係として置くように働きかけてくれたのはあの人なんです。
おかげでこんなふうに清潔な場所で、安全な仕事に就ける孤児たちがぐんと増えて、とても感謝しています。ぼくのようにお金が必要な子供は、他にもたくさんいるし。
働き口がなくっちゃ稼げない。でも、危ない仕事でむざむざ死ぬのも嫌ですから」
ライの喉が痺れた。
「……どうして、お金が必要なんだ?」
「家が火事で燃えちゃったんですよ」
子供はなんでもないことのように言った。もう幾度も同じ話を語ってきたのか、少しも動揺のない平坦な口調だった。
「ぼくは、もともとは外国からの交易人を相手にする商家の息子でした。わりあい裕福に暮らしていたと思います。でも、五歳の時に真冬の暖炉の火の不始末で、屋敷も財産も全部燃えてしまったんです。
両親ふたりとも焼け死んで、ぼくと妹だけが残されました。そのうえ、妹は火事のせいで大怪我をしてしまいました。
もう長いこと治療をしてるけど治らなくて、今も医療所で寝たきりの暮らしです。ぼくは死んでしまった両親の代わりに、妹の治療代を毎月支払わないといけないんです」
「そんな……」
ライは何か言おうとしたが、舌が上顎にべたりと張りついたように動かなかった。
「……そんな」
「それでも、ぼくはまだいい方です」
子供は肩をすくめた。
「毎月の給金をみんな持って行かれるのは大変だけど、妹は小さいから、治療代はそんなに高くないもの。それにこのギルドは働きやすいし、三度の食事もきちんと出る。
最悪なのは親の借金の肩にされて、人売りに連れていかれてしまった子供たちです。言葉もわからない外国に売られて、朝から晩まで働かされる。時には、口には出来ないようなひどい仕事をさせられる。ぼくの友達も、何人も消息がわからなくなりました。
事務長のおかげでここで働かせてもらえて、幸せですよ。君は孤児院の出身じゃないのなら、どうしてここに来たの?」
ライが沈黙したままでいると、子供はしたり顔で頷いた。
「わかった、父さんと母さんが働かないんでしょう。
下町の裏路地の方によくいるよ、学校も行かせてもらえず、酒びたりの両親の代わりに無理矢理働きに出される子。空気のいい野外での仕事は大人にとられちゃうから、たいていは地下の炭鉱に連れて行かれるんだ。
でも、炭鉱は子供の体では勝てないばい菌でいっぱいだ。大半は肺病になって死んでしまうから、君は止めておいた方がいいよ」
ライは言葉が出なかった。