星の奇跡



唇が重なる。

まるで触れたら溶けてしまう雪のように、儚いキス。

うまれてはじめてのキス。

男の子はぱっと顔を離し、呆然とわたしを見つめた。

もしかしたらそうしようと思うより先に、体が勝手に動いてしまったのかもしれない。

杏のように真っ赤だった頬が、動揺に青ざめ、いつも無感動な緑色の瞳が、突風に煽られる木の葉のように揺れた。

「……ふ、うっ、うえほっ!」

ふいに緊張が弾け、わたしは喉を押さえて激しく咳き込んだ。

男の子はぎょっとした。

「どうした!」

「……い……」

わたしは涙を浮かべて、口をぱくぱくさせた。

「息、するの忘れてた。

あなたが急に口をふさぐから、びっくりして」

緑の目の男の子は、まばたきしてわたしを見つめた。

「……シンシア」

「うん」

「息は、こうしてても鼻から吸える」

「あ」

わたしははっとした。

「そ、そっか」

「お前……」

男の子は仕方なさそうに微笑んだ。

「お前ってさ、どんな時も……、絶対にお前だよな」

「え?」

「いつでもお前は変わらずに、まるごとのお前でそこにいる」

「どういう意味?」

「そのままの意味だ。俺はたぶん、そういうお前だからいいんだと思う。

お前だけは変わらずに、ありのままの俺を受け入れてくれるから」

男の子はひどく素直な口調で言った。

「この村ではみんなが俺のことを、どこか異物を扱う目で見ている。

腫れ物に触るように、いつも俺の行動をひとつひとつ観察している」

わたしは首を傾げた。

「そうかな?」

「ああ。俺だって曲がりなりにも、厳しい修業を積んだ剣士だ。

自分以外の気配や視線には、嫌でも敏感になるさ」

「じゃあなんのために、みんなはあなたを見ているの」

「今さら逃がさないためじゃないのか。

大事に守り育てた俺っていうオウムに、肝心な所で飛んで行かれるのは困るんだろう」

男の子は自嘲するように言った。

「俺は特別らしいからな。ずっとそう言われるのが嫌だったけど、こんなに見てくれが違っちゃ、もう認めないわけにはいかない。

俺はこの村のみんなと目の色が違う。肌の色だって違う。

髪も顔の造りもなにもかも、同じ場所で生まれたはずなのに、誰ひとりとして俺と共通する奴はいない。

母さんも……父さんもだ。

……だとしたら、俺は」

男の子は黙り込んだ。

確かな形でその先に存在する答えを口にするのが、怖くてならないようだった。

「でも、お前は違う」

男の子はしばらくためらってから、わたしの背中を抱え起こした。

まるで赤子を抱くように膝に乗せて胸に包み、そのままわたしの肩にことんと顔を埋めると、小さな声で呟いた。

幼い子供のような、透明な声だった。

「お前だけなんだ。俺をただの俺として見てくれるのは。

だから俺には、お前がいつも必要だった。

俺はごく普通の存在なんだって、ただの人間としてここにいてもいいんだって、確かめさせてくれるのはいつでもお前だった。

いつか言ったよな。まだすごく小さい頃、お前は俺のだって。

あの時、母さんに叱られた。命はものじゃないのに、軽はずみなことを言うんじゃないって。

でも俺は、軽はずみに言ったことなんてない。初めてお前を見つけたあの時に、思ったんだ。

草の上で、小さなカナリアみたいに眠ってるお前を見つけて、甘い薬を飲ませた時に。

俺のだ。絶対に俺のものだって」

「わたしはあなたのものだよ」

わたしは男の子の首にそっと両腕を回した。

不思議なほど鼓動は静まり、霞が煙る夜明けの空のような、静謐ないとおしさが胸に満ちていた。

「知っている?わたしはずっと、あなたのものになりたかったんだよ」

「シンシア」

「ガラハドさんが言ってた。わたしはあなたの、とくべつなの?

わたしはあなたの大切なものに、ちゃんとなれている?」

「……特別じゃない」

男の子の顔が斜めに傾いだ。

背中に回した腕がほどけて、両頬を広い掌が包む。

「特別じゃ足りない。

お前は俺の、たったひとつ、だ。

だから俺は、お前のそばにいるのが怖かった。

お前に嫌われて、いつかお前が俺から離れて行ったらと思うと怖くて、それならいっそ近付かないようにしようと思った」

「わたしはあなたから離れたりしないわ」

わたしは囁いた。

予感よりも強い確信が、溢れる言葉をつき動かした。

「ねえ、信じて。わたしたちはずうっといっしょだよ。なにがあっても。

たとえこれからどんなことがあったとしても。


もしもこの身体がなくなっても、わたしは太陽の光に浮かぶちっぽけな塵になって、


形をなくしたふたつの目で、必ずあなたを見つけるから」







それから男の子は、わたしを引き寄せてもう一度唇を重ねた。

キスには温度があるということを、わたしは初めて知った。

そして、繰り返せば繰り返すほどもっと欲しくなるということを。

わたしたちはまるで、そうする以外のすべを持たぬように何度も何度もキスをして、やがて本当に想いを確かめるためには、もうそれだけでは足りないのだということを、はっきりと感じ取った。

気が遠くなるほど長いキスのあとで、緑の目の男の子はようやく顔を離した。

わたしたちはものも言わずに見つめ合った。

言葉に出来ないなにかが体の奥を駆け巡り、しっかりつかまっていないと宙に浮くような心もとなさに襲われて、

思わずぎゅっとしがみつくと、男の子の息がわずかに乱れた。
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