星の奇跡


まるで手足は氷となって凍えているのに、頭は熱砂にさらされたように熱く、体は不思議な甘いしずくで作った蜘蛛の糸に絡めとられ、自由を失っている。

(おれはお前が好きだ)

緑の目の男の子の口からこぼれた言葉は、わたしを緊張から一瞬にして解き放った。

「……なあんだ」

弾けそうに高まった動悸が収まっていく。

足の力が一気に抜けてその場に座り込むと、わたしは力なくリンゴの木に頭を持たせかけた。

不安が消えて、手足にぬくもりが戻ってくる。

「体が花火みたいに爆発して、このまま死んじゃうかと思っちゃったよ。

お前なんか、もうきらいだって言われるのかと思ってた」

男の子はなにも答えず、困ったようにわたしを見下ろした。

わたしはにっこりと微笑んだ。

「わたしもあなたが好き。ほんとうに大好き。お星さまから授かった役目のためだけじゃない。

まるでつるつるしたたまごみたいにまっさらな気持ちで、わたしはあなたをずうっと守りたいって思っているんだよ」

「そ……」

男の子はなにかを言おうとして一瞬唇を開いた。

わたしは彼を見上げた。

おれも好きだって、ずっといっしょにいようって、まだ低くなったばかりの声でもう一度言ってくれるんだろうか?

でも珊瑚色の唇から、再び言葉が続くことはなかった。

代わりにどこか頼りなげな吐息が洩れると、長い脚を折ってのろのろと腰をおろす。

リンゴの木の下、わたしたちは静かに背中を合わせてもたれあった。

二人の影が大地に長い三角形を作る。

「……どうすればいいんだろうな、俺」

頭の後ろから男の子の声が聞こえて、そちらを振り返ろうとしたけれど、

「こっち見るなよ」

拒むように肘先で突かれて、あわてて顔を戻した。

「シンシア」

「なあに」

「俺はやっぱり、これからもお前といっしょに寝ることは出来ないよ」

「……わかった」

わたしは小さく頷いた。

「わたしだってもうレディだもん。あなたが嫌がってることを無理にお願いしたりしないわ」

「嫌がってるわけじゃない」

男の子の声がくぐもった。

「どっちかといえば、その逆だ」

「え?」

「好きにも種類があるんだよな」

空を見上げたのだろう、彼の後ろ頭が私の頭を優しく押す。

「知らなかった。めんどくさいや。小さかったあの頃みたいに、いつまでもなにも考えずにお前と遊んでいたい。

風と鳥の歌を聞きたいし、土と草の匂いの中やって来る眠りの精を一緒に迎えたい。

でも多分、俺にはもうそれは出来ないんだ。

お前の好きがたまごみたいにつるつるしてるんなら、俺のはそうじゃない。

この空みたいに晴れたり曇ったり、雨が降ったり雷が鳴ったり、全然まっさらなんかじゃないんだ」

わたしは返事に困って口をつぐんだ。

さっき感じた哀しみやおののき、怒りにも似たもどかしさ。

わたしの彼への想いは、本当につるつるしているのだろうか?

新しいなにかが始まったその時、もう心のたまごはぱちんと割れて、生まれたばかりヒナは翼を広げて飛び立とうとしているんじゃないだろうか?

「そんなに難しく考えるな」

黙り込んだわたしを励ますように、男の子は柔らかい声で言った。

「多分こういうのは、頭で考えても無駄なんだ」

「そうなの?」

「ああ、俺も散々考えた」

「そうだったの?いつのまにそんなこと考えてたの?

わたし、全然知らなかったよ」

「そりゃそうだ。俺とお前は、どんなに仲がよくたって所詮別々の存在だ。

考えることも違うし、一緒にいたって違う方向を見ることもある」

「そんな、どうして」

思わず泣き出しそうになって、わたしは声を震わせた。

「そんなのいやだよ。悲しいことばかり言わないでよ」

「悲しくなんかない。当たり前のことだ。

どんなに好きだって、絶対に自分以外の人間とひとつにはなれない」

男の子は立ち上がると、透明な声で呟いた。

「だから俺は、いつだってお前のことを想う」

懐に手を入れると、掴んだものをぽんとこちらへ投げる。

わたしは両手をお椀の形にして受け取り、あっと声をあげた。

鼻孔を撫でるカエデの香り。

細部まで丁寧に彫り込まれた、琥珀色の小さな彫像。


それは両手で花を抱えて嬉しそうに微笑む、猫の目と長い耳をした少女の姿だった。


「これ……木彫りの人形?わ、わたし?」

「そうみたいだな」

そっけなく言って、男の子はわたしを残して歩き始めた。

「待って!」

焦ったわたしが叫ぶと、数歩進んで足を止め、男の子はゆっくりこちらを振り返った。


緑色の目が笑ってる。


「どうだ、そっくりに出来てるだろ。

もしも一緒にいなくたって、俺はお前の人形なら何千回だって作ることが出来る。

目をつぶればいつでも、お前の笑った顔が瞼に浮かぶんだ。

俺とお前は体も頭も別々に出来てるけど、心の場所は割と近くにあるみたいだからな」

「割と?どうして割となんて言うの?

わたしたちふたりの心は、いつでも決まって同じところにあるはずでしょう?」

「それは、わからない」

男の子の瞳が微笑んだままわたしから離れて、すいと前へと向き直った。

「見えないものが同じところにあるかどうかなんて、誰にもわからないんだ。

だって俺は……、神様じゃないから」
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