星の奇跡
やがて夜がやって来て、あたりは青と黒の混じった艶やかな闇のベールに包まれた。
「おれ、シンシアといっしょに寝る」
かたくなに男の子が言い張ってくれたのは、とても嬉しかったけれど、いざ柔らかな布団に潜り込むと、体がむずむずするような居心地悪さが込み上げて、わたしは起き上がった。
「ごめんなさい。ここじゃ眠れないみたい。
わたし、外で寝てもいいですか」
「そりゃあかまわないけど」
男の子の母親はまばたきした。
「外は寒いよ」
「へいき。これまでもずっとそうしてたの。
土と草の匂いを嗅がないと、眠りの精が降りて来ないから」
「でもあんたまだ、体のあちこちに傷があるしねえ……そうだ」
母親はしばらく考えてから、窓の外を指差した。
「家を出てまっすぐ歩いて川を越えたら、村のちょうどまんなかに大きな花畑がある。
そこなら土が柔らかいから、眠るのにいいんじゃないかな。
今は冬だから花は咲いてないけど、春になると色とりどりの花が咲き乱れてね、すごく綺麗なんだよ。
シンシア、そこをあんたの場所にしたらいい」
「お花はだいすきよ」
わたしは嬉しくなって言った。
「わたし、そこで寝る!」
「どうせ坊やも、ついて行くって言うつもりなんだろう」
急いでベッドから降りた男の子を軽く睨んで、母親は肩をすくめた。
「全く……なんにでも無関心なお前が、そんなに夢中になるなんて驚きだね」
「おれも花畑でねてみたい」
男の子は未知の体験に頬を紅潮させて叫んだ。
「シンシアといっしょに、ねむりのせいを見たい!」
「しょうがないねえ。そのかわり風邪を引いたって、明日の剣や魔法の稽古は休めないよ」
「ちゃんとやる!今までだって、いっかいも休んだことなんてないだろ」
むっとしたように言い返すと、男の子はわたしの手を引いた。
「シンシア、行こ」
「うん」
ひんやりした手が、ぎゅうっとわたしの手を握り締める。
つめたいのにあったかい、不思議な温もり。
「ふたりとも気をつけるんだよ。朝日が昇って目が覚めたら、すぐに帰っておいで!
坊やはおなかを冷やさないように、体を丸めて寝ること。
それから毒のある草は触っちゃだめだよ。いいね!」
声を背中の向こうで聞いて、ふたりでいっしょに扉を閉める。
母親の姿が見えなくなると、緑の目の男の子は天を仰いで深いため息をついた。
「ほんとうにうるさい」
防寒用に着せられた分厚い毛織のケープの上で、小さな顔がむくれている。
「いつもそうだ。かあさんはヒナを追い回しておしりをつつく、とさかの大きなドードー鳥みたいだ」
「あなたが心配なんだよ」
わたしは笑った。
「わたしのおかあさんが言ってたよ。言葉の数とおんなじだけ、好きがそこにあるんだって。
なんにも言わなくなっちゃったらそれはもう、一緒にいても心がさよならしてるんだって。
だからあなたは毎日、かあさんからたくさんの好きをもらってるんだと思うな」
男の子はうつむいた。
「……そんなの、知ってるけど」
「わあ!あそこが花畑ね」
目の前に現われた光景に、わたしは瞳を輝かせた。
木の跳ね橋を渡り、たもとにある水車小屋を越えて道なりに進んだところ。
暗がりの中でもよくわかる、丹念に手入れされたチョコレート色の土と、もうすでに目覚めはじめている小さな若葉色の新芽が、柔らかな土をかきわけていくつも顔を出している。
「素敵だわ。ここならぐっすり眠れそう!
もうこんなに芽吹いてるなんて、きっと春にはお花のベッドが出来ちゃうね」
「たくさん咲くよ。スイカズラ、ヒルガオ。クローバーにマツムシソウにスミレ」
男の子は声をひそめた。
「でも気をつけないといけない。なかには大きなくちを開けてなんでも丸のみにする、恐ろしい人食い花もある。
シンシア、眠ってるうちにあたまから飲みこまれちゃうかもしれないぞ」
「ええっ、ほ、ほんとう」
わたしは真っ青になった。
「どうしよう。春になったら、寝る場所を変えたほうがいいかな」
「そうだな」
男の子はまじめくさった顔で頷いた。
「まずくって、すぐ吐き出してもらえるように、身体じゅうにカラシをたくさんつけておくといい」
「な……」
珊瑚色の唇がくっと歪んだので、ようやくわたしはそれが冗談ということに気がついた。
「こら!」
わたしは笑いながら男の子に飛び掛かった。
土のじゅうたんの上に細い体をひっくり返し、馬乗りになって腕を押さえつける。
男の子は笑ってごめん、ごめんと謝り、そのまま心地よさそうに目を閉じた。
お前の髪がほっぺたにさらさらあたって、いい匂いだけどとてもくすぐったいと呟く。
わたしは腕を離して、男の子の横にごろんと寝ころがった。
「いい気持ちだね」
頭上に広がる、今にも降ってきそうな銀色の星空。
(星の奇跡を守るのよ)
耳のそばでこだまする、甘くて優しい声。
(それがわたしたちエルフの役目。愛しい薔薇、シンシア)
(おかあさん……)
風が吹き抜けるようなあの声も、朝露のようなあのまなざしも、きっともうこの目と耳でつかまえることは出来ない。
「また泣いてるの」
男の子は手をのばしてわたしの瞼を拭い、頬を転がる紅い結晶を掌に乗せた。
「花が咲いてないのが、悲しくなったのか」
「ごめんね。もう泣いたりしないよ。
空に還ったおとうさんとおかあさんに、しばらくのあいだお別れの挨拶をしただけなの。
すぐにまた会えるんだから、悲しいことなんてないんだよね」
「……すぐに、会える?」
男の子は言葉の意味がわからないように、ぼんやりと繰り返した。
「そうだよ。お星さまの海に帰ったら、そこでは誰もがみんないっしょなの。
だからもしいつか、あなたの周りの人たちがみんないなくなってしまったとしても悲しくない。
覚えておいて。さよならがあっても必ずまた会える。
星の海で泳ぐ小さな貝になって。
虹色の泡と踊る大きな魚になって。
ねえ、聞いてる?
本当のことなんだよ。
ねえ、もう寝ちゃったの……?」